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友人の妊娠報告に何を思う

 中学からの友人と一緒にライブに行った。彼女は現在妊娠4ヶ月だと言う。妊娠4ヶ月でライブに行くのがどれだけ大変なのかあるいは大変でないのかは、経験のない私にはよく分からない。でも、幸いなことに悪阻はおさまり気分は良いとのことで安心してライブを楽しむことができた。

 友人からの妊娠や出産の報告はもう何度目だろう。32歳にもなると、数え切れないほどの回数であるはずだ。

 周囲からの妊娠報告に対する私の感じ方は、時期によって異なっていた。目まぐるしく変化してきた。

「仕事はどうするんだ」 自分しか見えなかった20代

 思い返せば20代半ばまでの私は、妊娠報告に対して口先では「おめでとうございます」と言いつつ、内心はひどく冷たかった。
 仕事が第一だと思っていたし、自分自身がそう思うだけに留まらず、他の女性にまでその思想を押し付けていた。「突然妊娠したから休みますって言われても、今やってる仕事は?あなたのキャリアは?」そんなふうに思っていた。我ながら何様だったんだろうと思う。
 もちろん、基本的には口には出さないが、一度それを久しぶりに集まった同級生に向けて言ってしまったことがある。彼女は私の言葉に涙ぐんだ。泣かせてしまった。

 当時の私を自己擁護するならば、相手の心を想像する余地もないほど仕事のストレスでやられていたのである。身を粉にして働き、それをずっと続けていくことこそが正しいと信じて疑わないでいることが、ある種の自己防衛だった。だからと言って友人を泣かせていいわけがないが…

 そしてそんな状態だった背景には、ただひたすらに業務量に圧迫されていたということがある。

 ITベンチャー時代、毎日残業しても終わらない業務量をチームで抱えている中、同僚の年下女性が交際0日の相手と出来ちゃった結婚をすると言ってきた時には絶望した。自分がどんな顔をして「おめでとう」と言ったか分からない、いや今思えばちゃんと「おめでとう」と言えたのかも覚えていない。「あなたがしている仕事は誰がすることになると思うの?」と心底思っていた。
 その約1年半後、産休育休から戻ってきた彼女からまたすぐに第二子を授かったと報告された時の私の怒りにも似た絶望は言うまでもない。

「私も母になれるのだろうか」 アラサーの混乱期

 30代を目前にした28〜29歳の頃の私の心境や関心は、大きく変化していた。
 27歳の時に結婚した相手とは揉めることが増えていき、喧嘩するたびにツイッターの裏垢で「別れたい」「◯ね」と呟いていた。

 その頃はちょうど同世代の出産ラッシュだった。インスタやFacebookにアクセスするたびに表示される「【ご報告】」の文字、命名の額縁とともに寝かされた赤ん坊の写真、あるいは妙におしゃれなマタニティフォト。それらに辟易しながらも、私の心は「私にはこんなの無理なんじゃないか」という不安に駆られていた。

 当時の私は、夫の子供を欲しいとは到底思えなくなっていたからだった。「もしかして自分はそもそも子供が欲しくないのか?」「母性がないのか?」と根本から不安になるほど、当時の夫の子供を授かることを本能が拒否していたのだと思う。

 もう仕事だけのことばかり考えていられないほど自分の結婚生活に悩んでいたため、どれだけ周囲が妊娠や出産をしようとも「仕事は?」という思考にはならなくなっていた。むしろ、「みんなちゃんと幸せになっていっていてすごい…自分にはできなさそうだ…」とどんどん自信を削がれていった。

 29歳の終わりごろ、離婚を終えて疲弊した私は言うまでもなく自分が今後家庭を持つイメージなど持てなくなっていた。

「人は人、自分は自分」 心の安定期

 32歳である現在の自分はと言うと、離婚や仕事に悩み鬱病を乗り越え、ひとことで言えば「動じなくなった」。

 「他人の幸せが自分の幸せ」みたいな善人はたしかに素晴らしいけれど、私はそうは思わない。他人の幸せは他人の幸せでしかないし、自分の幸せは自分にしか分からない。
 何を幸せと感じるか、それは子育てなのか仕事なのか、人生において何を重視するのか。それらは全て人それぞれであって、押し付け合うものではない、と今では思えるようになった。
 「仕事を第一に考えるべき」、「結婚して子供を産み家庭を築くべき」…そんな暗黙の了解はたしかに感じるけれど、それもまた社会を構成している他人たちの価値観であって、自分のものではない。従う必要もなければ押し付ける必要もない。


 こう思えるようになったことで、逆説的に「他人の幸せが自分の幸せ」という気持ちが理解できるようになった。

 目の前にいる旧知の友が、新しい命の芽生えを喜んでいる。彼女の妊娠それ自体ではなく、その嬉しそうな姿を見ることができたことが、私にとっては小さな幸せだった。そしてまた、そう思えている自分に気付けたことも私にとっては一つの幸せだった。

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