見出し画像

東京から富山に移住し有機農業を始めた私

私がなぜ今富山で有機農業をするようになったのかを自己紹介を交えて伝えてみようと思います。

2022年5月に東京から富山に移住し、有機農業の営農法人で働いています。
いわゆる中山間地域と呼ばれる里山で有機棚田米と平飼い養鶏と有機野菜に携わっています。
自然にあふれる里山で農業をしている自分の姿をこれまで想像したことがなかったですが、移住して1年8か月が経とうとしている今では仕事を少しずつ覚え板についているのがびっくりです。

東京で生まれ育ち、大学時代は仙台に行き農学部でお米の研究をしていました。
それから社会人になって東京に戻り、食品添加物の商社で営業を3年経験しました。
東京でこのまま人生を謳歌するんだろうなと思っていましたが、コロナ禍を経て地方移住することを決意。地方に移り住むことなんて考えたこともなかったので、我ながらすごい行動力だと思います。

そんな私が農業をするようになったきっかけと今の自分についてお話します。


幼少期、食に興味をもつ

そもそも食に興味をもつようになったきっかけは幼少期に「食の医学館」という栄養百科事典みたいな分厚い本を眺めていたことです。
百科事典の類は基本読んだことがないのですが、食の医学館だけはなぜか夢中になって見入っていました。読み込んだほどではなかったと思いますが、タンパク質が多い食べ物、ビタミンB1が多い食べ物など写真付きで見るのが好きでした。
それから栄養や食べ物のことに興味を持つようになり、これらのことを勉強するため農学部に行きました。

大学時代に農学部で研究したこと

晴れて農学部に入りました。栄養学にも興味はもちろんありましたが、色んな講義を聴いているうちにそれ以上にお米や野菜を育てる農業の方に興味が強まり、特に遺伝子を扱う研究をしたいと思うようになりました。

そこで大学4年から修士2年までイネの遺伝子解析をする研究室に配属となり、「イネの表皮形成と茎頂分裂組織の相互作用」をテーマとして研究を始めました。
簡単に言うと、イネの表皮が作られることと成長点が機能することは何か関係がありそうだということを遺伝子を使って解析していきます。
なんだかよく分からない研究をし始めましたが、種まきから芽が出て10日前後で芽が1センチしか伸びずに枯れてしまう変なイネを見て、なんだか面白そうと思ったのです。

生育不良でなく、1週間で1cmしか伸びない変異体


3年間研究した結果、芽が伸びずに枯れる原因が表皮で作られるはずの受容体という、物質をキャッチして情報伝達するものがぶっ壊れているためであることを突き止めました。詳しく書くと訳分からなくなるので省略しますが、要は表皮にある受容体が情報伝達をすることで成長点が正常に機能し、芽が伸びていくのではないか、という仮説を立てることができたのです。
受容体を作る遺伝子を突き止めるところまではできたのですが、その先の仮説を検証しきれなかったのは悔しかったです。
それでも、自分で研究するということを学べた貴重な3年間でした。
研究といいつつ、田植えや収穫、野菜を育てたりもしてたので、大学時代に少しは農作業に触れていました。この時間が楽しかったのを覚えています。

食品添加物商社で営業を経験した3年間

なぜ食品添加物の会社に入ることになったのかというと、第一志望の会社に行けなかったからというのもありますが、なんだかんだ食品に興味が戻り、一つのメーカーだけでなく広範囲にメーカーや食品のことを扱える素材系の会社の方が面白そうだと思ったからです。
明治のお菓子だけが好きなわけでもなく、味の素冷凍の冷凍食品だけが好きでずっと食べているわけでもなく、色んなメーカーの色んな食品を食べて私たちは生きているはずです。
色んなメーカーの色んな食品に対しておいしさや楽しみを提供できる素材を扱う商社に入れば、より多くの人に必要なものや機能を届けられるなと考えました。

具体的には、増粘多糖類という素材を扱っていました。ジャムやゼリーのゲルを作ったり、ソースやドレッシングなどに粘性を持たせたりします。

実は元々は自然派の食品の方が好きなのですが、扱う素材が増粘多糖類ということもあり健康的にはまだマシな素材だからいいかなんて内心思ってました。

修士でバリバリ研究してたし、増粘多糖類の機能性や物性について研究頑張るぞ、なんて思ってたらまさかの営業配属となり、一番避けたかった営業職で絶望していました。。
人前で話すことは得意ではなく、営業職自体にも悪いイメージしか持っていませんでした。今思い返しても前職の営業には正直戻りたくないという気持ちしかないです(笑)
人前で話すこと自体は徐々に慣れてきましたが、営業成績・数字に常に追われている感覚や、研究と違い広く素早く量をこなす仕事のやり方、自分が直接関わっていないことでもクレームの窓口にならないといけないなどネガティブ要素の方がやはり思い出してしまいます。
実際、胃腸を壊しかけたり吐き気があったり、顔が死にかけていたりと明らかに自分に合っていない仕事でした。
覚えたスキルや採用案件も増えてきていましたが、そこに喜びは特になく、やはり最後まで嫌だなという感覚をもって営業をしていました。

そんな営業時代があったからこそだとは思いますが、社会人になってから食についての課題とは何だろうかと常に考えていました。セミナーなど様々なイベントに参加していたところ、転機が訪れました。

私が有機農業をするようになったきっかけの人に出会うことになります。
warmerwarmerというオンライン八百屋を経営する高橋和也さんという方にお会いしました。高橋さんは、全国の絶滅寸前の在来野菜(カブ、ダイコン、ネギ等)を取り寄せてオンラインで八百屋として販売しています。この絶滅寸前の在来野菜のことを「古来種野菜」と呼んでいます。
この古来種野菜は約2000種ほどありますが、現代では全国で各種を1,2軒の農家しか作られていない絶滅ぎりぎりの野菜で、自家採取によって守られています。一昔前までは割と流通していたらしく、親やおじいさんおばあさん世代の人は懐かしいと言うかもしれないです。長崎の木引カブや秋田の沼山大根など聞いたこともないような名前のものや、そもそも名前すらついてない野菜もあるようです(*_*)

古来種野菜の数々

実際に古来種野菜を食べましたが、衝撃が走りました。
その辺のおいしい野菜とは訳が違く、苦味えぐ味含めて全てが野菜の味としておいしいのです。これが本来の野菜の味かと、食べたことがないのにDNAレベルで懐かしさを感じる味でびっくりしました。
形も変形し、収穫期も個体ごとにバラバラなため一般流通には乗らない野菜ですが、こんな味を出せる野菜ならそりゃ自家採取してでも守りたい人はいるよなと納得していました。
もしかしたらこうした野菜を知ること、農業に関わることが食について考えることの根幹になるのではないかと考えるようになりました。

そしてコロナ影響で世界中で農業が大打撃を受け、貿易も不安定になっていく様子を見せられていました。
仕事現場では、増粘多糖類のほとんどが輸入品であるため、コロナ影響で海運が遅延し国内に物が入ってこないことも往々にして発生していました。更に、度重なる値上げで商品そのものが不安定となっていました。単価が数ヶ月で倍になることもありました。これまでの輸入頼みの食産業はもう破綻するのではないかという考えが強くなり、いよいよ転職という言葉がよぎりました。

その他にもセミナーやワークショップにいくつか参加してきた結果、食というテーマで生きていくにはやはり農業を支えていくことが今後の日本において、というよりまずは自分とその周りの人たちのための食料安全を確保するにおいて確実にやらないといけないことだと強く心に刻まれました。
今までのように食について考えているだけではなく、実際にプレイヤーとして現場に入らないことには食について考えるにも認識の幅が限られてしまうと感じていました。

農業するなら有機がいいなと思ったので、有機農業ができるところを調べた末、富山の現職の会社がヒットし、転職を決意しました。富山は妻の実家があり、条件が色々噛み合ったという理由もあります。

そして、2022年3月に退職し、5月から富山に移住し農業法人で仕事を始めました。

農業を始めてみて

大学時代に農業をほんの少しだけかじっていたとはいえ、東京暮らしが長くほとんど自然も農業にも触れてきませんでした。
しかも農業大学校で研修をすることもなく飛び込みで農業をしようとしたので、よく東京から来たねーと関わる人皆から言われたものでした。

今の会社は意外にも関東出身者が多いのも入社の決め手の一つでしたので、その辺りはなんとなく安心して来れていました。

仕事内容ですが、里山で主に有機棚田米と平飼い養鶏をしています。
棚田での米作りと養鶏は全く初めての経験のため、見る光景すべてが新鮮でした。
ただ、農業といえば肉体労働であるため、最初の1年は体力が追い付かなく、腰痛や筋肉痛が凄まじいほどでした。運ぶもの全てが重い感覚で、作業スピードに慣れていくのに精一杯でした。
加えて、天候に関係なく作業を進めないといけないため、雨の中の田植えや草刈り、鶏のエサやりなども平気で行います。雨に打たれて作業するのが思っている以上に疲れるので、梅雨時期は特にやられていました。
農業を志した中で体力的にきついなと思う場面が多々ありましたが、それでも心は意外とやられていなく、どこか充実感がありました。
今となっては体力もついて、体の使い方も分かり始めたので、作業しつつこれまでみたく色々頭で考える余裕が出てきています。

現場に立ってみて、改めて農業は口で喋っているだけでは何も分かり得ないことがありすぎるくらい大変なことが多いことが分かります。
天候の変化で作物の取れ高は簡単に変わる、売り上げに対して機会費用などの経費が高い、土砂崩れで圃場が使えなくなる、など知っていたような気でいたけど、直接目で見ると営農の困難さが伝わります。
実際、世の中で成功している経営者が「経営するのに農業が一番難しい、自然が絡むので先が読めない」と言うくらいです。

農業が大変である現状を知ることができたのは、私が実際に現場に立っているからです。そうなると大半の一般消費者は農業現場を知らないため、農業の現状を半ば机上の空論的に語り合っているということになりそうです。
少なくとも農業に興味関心があるのに、現場を知らないのはすごくもったいないと感じるようになりました。現場に入って仕事をしてほしいとまでは言いませんが、一度どこかの農家を訪ねて現場を見るということから始めてみるのもいいかもしれないです。

今後のやりたいこととして、農作業を勉強したい気持ちもありつつ、農業現場を知らない人たちに、現場のありのままの姿を伝えられるようになりたいとも思えるようになりました。
これがSNSやnoteを更新していく理由にもなっていきそうです。
また、富山をはじめ、全国の農家ともつながりを増やしていきたいです。

これからよろしくお願いします。

この記事が参加している募集

#自己紹介

233,563件

#仕事について話そう

110,977件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?