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はじめまして。ハンドメイド変態ツルカワです。そんなわたしは、如何にして、ハンドメイドに愛情を注ぐようになったか。(第五回)

さて、再婚した私は、相模原から当時夫が住んでいた鎌倉に転居し、ライター業も在宅でつづけながら、穏やかな暮らしを送るようになっていた。鎌倉といっても下町の大船であったので、ハイソな「鎌倉婦人」とはいかなかったけど、ふらりと散歩気分で観光地を巡ることのできる鎌倉での生活は楽しかった。
だが、次第にその時自分が行っていたライター業に疑問が生じるようになっていった。その時の私の仕事は、不動産広告の地域情報のwebライター。でも、現地に行って取材して、文章を作れるわけではなかった。すべてネットで調べ、その情報をネットで公開する。正直、むなしかった。見もしないものを見てきたように書くなんて。そのストレス、自分の立地点が見いだせない虚無感より、病状も再び悪化していく。

「どうぜ文章を書くなら、自分で足を運び、自分で感動したものを伝えたい。『わたしをつむぐ。』みたいに」

次第に主人とそういう話をするようになった。そして、自分が感動するもの…と考えた時、今の自分を培ってきた世界のことに思い至らないわけにはいかなかった。そう、ハンドメイドという世界のことを。

そうしているうちに2011年。東日本大震災に遭遇する。そのとき住んでいたマンションの近隣の部屋の人の顔をはじめて見たことに気づいた時、夫と話し合い、あることをまず決めた。

「自分達のルーツである相模原に帰ろう、そこで暮らそう」

幸いというか、偶然、手ごろな値段の(といっても相当背伸びはしたが)中古住宅が相模原の、それも海福雑貨より徒歩3分という距離に見つかった。こうしてわたしは再び相模原に帰ってきた。前とは違うのは、ひとりではなく、ふたり連れであることだった。

そして募っていた仕事への不満も、ルーツの地に帰ることで、ひとつの結論を得た。

「わたし、ハンドメイドの世界を伝えるライターになりたい。人にあって、作品を見て、その素晴らしさや込められた思いを伝えられるライターになりたい…」

「じゃあさ、まず、ブログから始めたら?」

そう夫が言った。
でも、やるからにはぜったい、続けなよ。簡単にやめるなよ。
うん。

そんなやりとりのあと、わたしは全ての仕事を断った。経済的には苦しくなるが、ハンドメイドのことを書き続けるための、それはひとつのわたしのけじめだったのだ。

2012年にそうして始めたのが、ハンドメイド情報ブログ「きらめくあなたが、好きだから。」だ。
もとのもとは自分の好きなアクセサリーについて綴っていたブログだったが、次第にアクセサリーでもハンドメイドアクセサリーについて、さらに日がたつにつれて、ハンドメイド全般の話題を扱うブログとなっていった。

心がけたのは「自分が直接見て、いいと思ったものだけ、書こう・伝えよう」ということ。
そのため、ハンドメイドの現場に足しげく通うことを自分に律した。できるだけ多くの作品を見たい、いろんなハンドメイドショップを見たい、ハンドメイドの展示を見たい…。この世界のことをもっと知りたい…伝えたい!と。自分の貯金を切り崩しながら、勉強と念じて、ハンドメイドの現場を駆け回る日々が始まった。夫以外、誰にも相談しなかったし、それらしき本を参考にすることもなく、わたしは自分の頭だけと足だけで、新しい世界に飛び込んだのだ。

とにもかくにも、動き回った。
手作り市に行く、いいなと思ったブースがあったら、名刺を渡して、ブログの趣旨を話し、写真を撮らせてもらう。そして作家さんのお名前とともに、紹介する。
同じように、ハンドメイドの展示に行く、ハンドメイドショップに行く…そして名刺を渡し、写真を撮らせていただき、ブログに掲載する。
さらには、いいなと思った作家さんには連絡を取り、メールインタビューをお願いして、掲載させていただく…。

そんな日々を繰り返した。

本当に、多くの方にご協力いただき、だんだんと形になっていった。
感謝しきりである。
特に始めたばかりの頃にご協力くださった方々には、よくもまあ、無名で実績もないブログにご寄稿を下さったり、撮影許可をいただけたものである。ありがとうございます。の言葉以外、出てこない。
…そうやっているうちに、少しずつ、少しずつだが「楽しみにしています」と言ってくれるハンドメイドファンの読者がついてきてくれるようになった。


とはいえ、なかなかに「こういうモノですが、お写真いいですか?」と話しかけるのは胃が痛くなるほどの緊張。だが、その緊張が無くなってしまったら今でも終わりだと思っている。撮らせていただいている・紹介させていただいている、その気持ちは失いたくはない。そう思って飛び回っては書き続ける日々。

しかし別の脅威が芽を出し始めたことも自覚はしていた。わたしは紹介したい作家さんの作品はよほどの額でない限り、買うことにしていたから、当然といえば当然であった。しかも遠くは関西までも遠征するようになった。飛び回り書くほどに、目減りして行く貯金。

つまりは、経済的苦境である。

(第六回に続く)

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