見出し画像

はじめまして。ハンドメイド変態ツルカワです。そんなわたしは、如何にして、ハンドメイドに愛情を注ぐようになったか。(第三回)

相模大野のアパートから自転車を走らせること十数分。

小田急相模原駅と東林間駅の中間に、海福雑貨はある。古いアパートの1階。恐る恐る扉を開けて、入ってみると、電話と同じ声がした。
「いらっしゃいませ」見ると、店の奥のカウンターに若い男性がいる。
思わず店内を見回す。そこには、あの日駅前で見たような商品いや、作品がいたるところに置いてある。

それらに気を取られながらも、とりあえず男性に向き直って、イヤリングを差し出した。男性は一目見て、言った。
「ああ、これはkanaeさんという作家さんのものです、今、電話で聞いてみますから、お待ちください」。そして電話に向かい、数分間のやりとり。「…了解です、お客さんに伝えておきます」…電話を切って、男性は私に向き直って言った。
「新しく片方だけお作りしてくれるそうです、片方だけの値段でいいそうですよ」
「いいんですか?」
「はい、そのかわりお時間いただけるでしょうか。ハンドメイドですので」
「…あ、はい、それはもちろん…」
「ああ、よかったです、わざわざ来てくださってありがとうございます」。

男性が微笑んだ。
ああ、こういう商品…いや、作品を、ハンドメイドというんだな…。
それが私がはじめて「ハンドメイド」という世界と言葉に触れた時だった。

…それから、週末になると私は、魅かれるようにして海福雑貨に通うようになった。
当時海福雑貨は週末のみの営業。店の奥にはソファーが置かれ、若い男性こと店主の遠藤和海さんはそこで寝起きしながら平日はサラリーマンをし、週末になると店を開ける生活をしていた。

…そんな生活を送ってる人が、いるんだなあ。なんと型破り。そして、週末になると、納品やらなんやらで、集まってくる作家さんがこれまた個性的。一癖も二癖もある人だらけ。そしてお客さんも。
そして、そんな人々とソファーに座って時に話し込むことも多くなり、飲みにつれて行ってもらったり…。

こうして孤独だった私の生活が、少しずつ変わり始めた。
私の生活に、再び「人との関わり」が蘇っていった。
少しずつ。生き返る。再び、生まれ変わる。新しい街で、新しい人々と。

そうやって、私は、人生の再出発の舵を切ることができたのだった。
ある日出合った、一つのイヤリングのおかげで。

それも、大量生産でなく、ひとのぬくもりある、
ハンドメイドのイヤリングのおかげで。

(第4回に続く)

この記事が参加している募集

#自己紹介

232,727件

いろいろがんばって日々の濁流の中生きてます。その流れの只中で、ときに手を伸ばし摑まり、一息つける川辺の石にあなたがなってくれたら、これ以上嬉しいことはございません。