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一汁一菜とワンプレートごはん

「マメだね」
と私が作るご飯の写真を見る人はよく言ってくれるが、みなさんお気づきなのだろうか。私の作るご飯は大概ワンプレートで収まる。
至って簡単だ。簡単だから無理なく続くし、楽しい。

最近『一汁一菜でよい提案』という3分クッキングの土井善晴さんの本を拝読した。私がよく拝聴・拝読している岡田斗司夫さんと養老孟司さんがおすすめされていて、レビューも読み、”日本中の主婦が涙して読んだ本!?”ということですぐに読みたくなった。

料理の第一人者がきちんとした理論をもって「もっと気楽でいいよ。そこそこ美味しければいいんだよ。」と優しく言ってくれると、現代の忙しい真面目な主婦/主夫の肩の荷が降りるのだはないだろうか。

この本を読んでふと気がついた。
「一汁一菜はワンプレートごはんも同じかも…!」と。
それは、偶然にも私がヨーロッパやタイで体験してきた”家庭料理”のスタイルとリンクしていた。
今日はそんなお話。

日本のカレーでも、トッピングとサラダ的なものを全てプレートにのせて完結。
私の作るカレーの中に既にたくさんの野菜が入っているので、口休めてきな野菜を添えるだけ。
食感の違いを楽しむためのトッピングも欠かせない。

週末の母の料理と平日の祖母の料理

子供の頃、私たち家族は祖父母の家に住んでいたため、一緒に住んでいた祖母が大体の平日の料理を担当、毎日の朝食と祝日・週末は平日働いていた母が料理を作っていた。
母の作る料理はいつも”理想的”な形の食事で、
主食のご飯、メインのおかずとなるもの1つか、それにみんなで取り分ける煮物的なものもうひとつ、サラダ(個人用の皿にそれぞれ)、お漬物、味噌汁、休憩をとってデザートとお茶だった。
働いていた母は1週間ごとのメニューを考え、買い物を週末のうちにしていた。そして翌日の料理はその前夜に仕込んでいた。

家族のことを想い、何か新しいメニューを取り入れようと料理本を購入しては新たな料理にもチャレンジもしていた。
大変ありがたいことなのだが、子供心にその母の大変そうな姿をよく覚えている。実際、「みんな好き嫌いがあるから、メニューを毎回考えて作り続けるのが大変。。」と言う言葉は何度もきいた。

打って変わって祖母の料理は1品ものが多かった。そのバライエティはさまざまで、ご飯と味噌汁はあったが、それに一品とお漬物だった。気楽だった。
私が成人して、超高齢になった祖母の味を受け継ぎたくて
「作り方教えてよ〜」
と何度も聞いたが、いつも答えは同じ。

「適当だよ。全て目分量!味見しておいしけりゃいいんだよ。」
と。そして、
「そんなに知りたかったら、見て覚えな!味はもうわかってるだろ。」
ということで、実家に戻るたびに祖母の料理しているところに一緒に立ち、観察した。

スウェーデンの家庭料理

スウェーデンに住んでいた頃、私はある家族と一緒に生活していた期間がある。およそ6年間、その家族と食事を共にし、その家族から料理を学んだ。
この家族だけのことではないのだが、スウェーデンや私が滞在した他のヨーロッパの自宅での料理は、ほとんどがワンプレート料理だ。

家族の中の誰かがメインディッシュとなるものを作り、もう一人が”いつものサラダ”を作り、パンかライスかじゃがいもでいただく。
必ず誰かと分担し、サラダのバリエーションはさほどない。両親共働きしている家庭がほとんどなので、日々一緒にとる食事は分担作業。キッチンは、みんなが集まって共同作業する場であり、このワンプレートはみんなの味が集まっている。スウェーデンの食は至って質素だ。暗くて寒い、凍るような土地では作物は限られている。保存食と季節のものを楽しみにしながら、いつもの飽きないシンプルな定番料理を交互に食べている。

何皿も並ぶ日本的な食卓で育った私にとっては、シンプルの極みだった。日本でよく言う一汁一菜がプレートにのっているのだ。
普段はIKEAの白いお皿セットで選ぶことはしない。
特別な日だけ、アンティークのお皿が登場し華やかになる。
食事に対してあまり思考と労力を費やす必要がないのが楽だと思った。
その代わり、数少ない旬のものを本当に楽しみにしている。

ママが作った”ヤンソンさんの誘惑”にリンゴンベリージャム、パパが作ったサラダ、
瓶詰めのピクルス、私か彼らの娘が焼いたハロミチーズ。
パパとママが二人で作ったマッシュルームクリームパスタ。
私と娘が作ったサラダ2種。
夕食はサンドイッチだけの時もある。
パパが焼いたパンに、マヨネーズと買ってきた茹でエビ、
ディルとゆで卵を乗せていただく最高の贅沢。
お客さんが来た時の料理。
ネッスレというハーブのスープとゆで卵とクネッケ(乾燥パン)。

この家族と過ごしていたある年の誕生日に、スウェーデンの母が必ず娘に贈るというスウェーデン料理本をママから受け取り、一緒に作り習った料理は全てノートにまとめた。この家族と離れて暮らすようになってもワンプレートごはん生活は続いた。スウェーデンで私は、人に求められた時に巻き寿司と日本のカレーを作り、それ以外は日本食を作ったり食べたりしなかった。それでも全く食に飽きなかった。

タイの料理の味の決め手

タイに移住してからすぐに地元のクッキングコースでタイの基本料理を学んだ。カフェでも住み込みでお手伝いをしつつタイフュージョン創作料理も学んだ。報酬にはそこの食事と滞在する部屋を与えられた。

タイ料理を学べば学ぶほどわかってくるのが、使う素材も調味料もほぼどれも同じと言うこと。タイ料理のレシピはざっくりとした基本的なものだけで、素材は同じだが味は作り手が出すものだと皆言う。
唐辛子にしたって、野菜にしたって、自然のものはその日のものと別の日のものが同じ味とは限らない。だから決められた個数に従っていたら味は変わってしまう。
習っている最中でも、大さじ小さじ、何gなんて言わない。お決まりの調味料を自分の好みに合わせて、毎回味見しながら作り上げるのだ。

だから、巷には同じような料理を出す店ばかりだが、そこの料理人によって料理自体の印象も、味も変わり、それで好みの行きつけの店がきまる。外食社会であるこの国では、街中に家庭的な料理人が溢れ、手作りの料理が家の外で気軽に安く食べられる。

そして、一般的な庶民の日々のタイ料理は大概ワンプレート料理である。ごはんとおかず、トッピングに目玉焼き(お好みで)と口直しにきゅうりのスライス。こちらもまるで一汁一菜だ。

野菜たっぷり具だくさんの炒めもの。基本的にオカズだけを考えれば、他はいつも同じもの。
目玉焼きはいつでも気分次第であったりなかったり。


特にこちらのカレーは”味噌汁”のような感覚で、煮込んで作るものではなく、さっとその場で作って食べ切る。味噌に白味噌、赤味噌、合わせ味噌があるように、カレー(ハーブ)ペーストも基本的には赤、黄色、緑となる。汁が多く具が少ないものもあれば、具だくさんのもものあるので、その日の気分で楽しむ。
タイも共働き家庭や自営業が多く、自宅で料理するところは少ないものの、料理は手作りの食堂や近所のおばちゃんが軒先で販売しているお惣菜を利用し、安く簡単にすませることがほとんど。特別な日だけ、普段よりちょっと豪華な食事を大勢で楽しむのが好きなようだ。

そこそこ美味しければ飽きない

”家族の為に”という気持ちは素晴らしいことなのだけれども、人には得意も不得意もあるし、現代人は一日にやることがたくさんある。いつもはできることでも、ある日はできないことだってある。

とにかく作ることが負担にならない程度であればいい。作り手のプレッシャーは料理の味にもなり、空気として食卓にも上がるのだ。

そうなると、何を食べるかよりも、その食事の時間に心からホッとできることが一番大事な”味”ではないかと思う。

簡単で品数が少なくても、飽きないそこそこ美味しい手作りができたら、心が安定して生活も安定するような気がする。

スウェーデンでもタイでも日々の食事はそれぞれの”そこそこ美味しい飽きない簡単な手作り食事”で食生活が回っている印象がある。
美味しい美味しくないは親子関係なく個人の感覚なので、たまには美味しくないと感じるのもまた自然なことかと思う。

日々の料理作りや食事をとることに疲れてしまっている方、
料理が不得意だと思っている方、
レシピ選びに困ってしまっている方、

土井善晴さんの『一汁一菜でよい提案

の一読をおすすめ。

※この本はレシピ本ではありません。土井さんの提案のお話です。


<Amazonのアソシエイトとして、[釣妻食堂]は適格販売により収入を得ています。>

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