つらたん

50代の専業主婦です。 80代の認知症の母を同居しながら介護してきました。 現在、母は…

つらたん

50代の専業主婦です。 80代の認知症の母を同居しながら介護してきました。 現在、母はホームに入居中。 透析患者の主人を抱えています。

最近の記事

クリスマス会

先日、母が入居しているホームのクリスマス会があった。 私たち家族も招かれての賑やかな会だった。 私の席は、母の隣に設けられていた。 皆でクリスマスソングを歌い、母たちのハンドベルの演奏も聴かせてもらった。 ハンドベルの演奏の前には、「練習なんかしてたかしら?」と言っていた母だが、いざ本番となれば皆さんと仲良く演奏できていた。 認知症のある母は、クリスマス会のことも今一つぴんときていないようだったが、同じ入居者の方から色々教えて頂きながら、うまくホームの生活に馴染んで

    • 母との新たな関係

      母がホームに入居して1ヶ月以上経ち、家にかけてくる電話の回数も少し減ってきた。 母もホームの生活にそろそろ慣れてきたのだろう。 アクティビティの時間には、ちょっとした工作や折り紙、軽い運動や書道など、色々させてもらっているようだ。 家にいて、することもなくぼ~っとしていた時より生活に張りがありそうだ。 ホームを訪ねてみると、ちゃんと母はお化粧もしている。 他の入居されている皆さんに囲まれてティールームでお喋りしている母に出くわした時もある。 皆さん、とても楽しそう

      • 少女な母 その後

        母がホームに入居して、もうすぐ1ヵ月になる。 私が安心できる生活ができるようになったかと問われれば、答えは否である。 毎日、母からかかってくる電話に悩まされる日々である。 母がショートステイしたホームが気に入っていたのは確かで、実際今もホームで楽しく過ごしている時間はあるのだろう。 楽しかったから、母はホームの部屋が空いていないかと私に聞いてきた。 だから、すぐにホームに行って空いていた部屋をキープした。 こうして希望通りにホームに入居したのだが、母の中ではどこま

        • 空と私

          空は毎日色々な表情を見せる。 青空の日もあれば、曇り空、雨空…。 朝焼け、夕焼け。 冬には白い雪が空から舞い降りて大地を静かに埋め尽くすこともある。 家族の世話があり、家にいることが多い私にとって 空を眺める時間は人一倍長いかもしれない。 空を見て勇気付けられる日もあったし、今にも泣きそうな空を見て私も泣き出しそうになったこともあった。 夕陽が西の空に沈む時、今日も無事に終わったと安堵したり、何でこんなことばかり続くのかとため息をついたり…。 あまりにも晴れて

        クリスマス会

          晩秋の空

          晩秋の空

          優しさに涙した日

          あの頃は、どうして良いかわからず、私はいつも鬱々としていた。 父が自宅のお風呂場で突然亡くなってしまったのは、立冬も過ぎ、ひどく冷え込んだある日の真夜中だった。 その日を境に母の生活は一変してしまう。 頼りにしていた父を亡くしたのだから、母がショックを受けて混乱してしまうのは仕方がないことだったと思う。 しかし、その母を支えることになった私の生活も以前とは比べものにならないぐらい、落ち着かないものになってしまった。 実家のすぐ裏手に家族と住んでいた私のところには、情緒が

          優しさに涙した日

          少女な母 ⑦

          母の中には時に少女がいたり、大人の女優がいたり、毎日忙しい。 ちゃんと相手の反応を見て振る舞っているようなところもあり、侮れない。 相手が気になる男性であったりすれば、口調や声色まで変わるから驚きだ。 自分の意見を通す為には泣いたり、すねたり、怒ったり。 或いは相手を誉めそやしたり…あらゆる手を使ってくる。 そうやって相手の心を動かし、自分を通してきた人だ。 私など真似できない、母の巧みな話術。 認知症になってもそこは衰えなかった。 こんな母に幼い頃からずっと

          少女な母 ⑦

          青空と紅葉したハナミズキ

          青空と紅葉したハナミズキ

          フランスの風景 川岸に立って眺めた景色

          フランスの風景 川岸に立って眺めた景色

          少女な母 ⑥

          母の認知症を進ませない為、私は母を書道やアレンジメントフラワーに連れて行っていた。 母と一緒に習い事をするのは私にとっても楽しい時間になるのではないかという期待もあった。  振り返ってみれば、確かにそんな風に感じる時もあったと思う。 しかし、認知症の母を習い事の時間に間に合うよう、教室まで連れていくのが大変だった。 母と一緒に住んでいない頃は朝のうちに今日は習い事の日だと電話で伝えていても、出発する時間になって実家に行くと母はベッドに寝そべっていたりした。  勿論、

          少女な母 ⑥

          ビオラの花

          ビオラの花

          少女な母  ⑤

          よく認知症の人に介護者が暴力を奮ってしまうという話を耳にする。 私は自分には関係ないことだと思っていた。 しかし、たった一度私は母を突き飛ばしてしまったことがある。 突き飛ばすというか、母の体を手で押してしまったという感じだろうか。 それは、まだ母の愛犬がこの世にいた頃の話である。 母が飼っていたポメラニアンは老犬になり、心臓病を患っていた。 心臓弁膜症である。 時々発作を起こしては入院することが多くなってきた頃、その犬がベッドから飛び降りた時に足を痛めてしまった

          少女な母  ⑤

          少女な母 ④

          母はとても社交的な人だ。 娘の私から見ても綺麗でいつも笑顔を絶やさない母は男女問わず人気があった。 そんな母だったので、父の死後も友人との約束が絶えなかった。 ただ、母のカレンダーに書き込まれている予定には、時間と場所だけが書かれており、誰との約束か書いていないことが多くなってきた。 私が「誰との約束?」と聞いても 「さぁ、誰だったかしら?行けば誰かいるでしょ。」 とアッケラカンと答えるお気楽な母に相変わらずだなぁと呆れながらも当初は私もあまり気にしていなかった。

          少女な母 ④

          ジュリアンの花💠

          ジュリアンの花💠

          フランスの田舎の風景

          フランスの田舎の風景

          少女な母 ③

          母のパニック障害は暗い映画館やコンサートホール等でも起こった。 音楽を聴きながら、映画を観ながら、息苦しくなると外に出たくなる母。 毎回、脳神経科の先生が処方した安定剤を飲ませて落ち着かせたが、母が一人で外出している時は私も心配だった。 こうした症状も徐々に消えてはいったがかなり時間がかかった。 長年の間にはうつ病の治療に漢方薬を使ったりした。 これが認知症にも利き、毎日同じものを買いにいく衝動がおさまった。 これには大変助かった。 今でも欠かさずこの漢方薬は飲ませている

          少女な母 ③