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優しさに涙した日

あの頃は、どうして良いかわからず、私はいつも鬱々としていた。
父が自宅のお風呂場で突然亡くなってしまったのは、立冬も過ぎ、ひどく冷え込んだある日の真夜中だった。

その日を境に母の生活は一変してしまう。
頼りにしていた父を亡くしたのだから、母がショックを受けて混乱してしまうのは仕方がないことだったと思う。

しかし、その母を支えることになった私の生活も以前とは比べものにならないぐらい、落ち着かないものになってしまった。

実家のすぐ裏手に家族と住んでいた私のところには、情緒が不安定になった母から、すぐに来てくれと度々電話が入った。

実家に行ってみると、母はただ泣いているだけのこともあれば、なくなったものを必死に探している時もあった。

次第に同じものを買い続けて、冷蔵庫の中は食品でパンパンになり、腐った物を片付けなければならなくなってきた。

探しものをしていても、何を探しているのかさえ忘れてしまう母を見て、これは認知症かもしれないと母を連れて脳神経科に行った。

病院では、私が母の病状を医師に伝えようとするとそんなことはないと私の方を見て怒り出す母。

そんな母を見るのが私は怖かった。

そのうち母は寂しさからパニック障害を起こして救急車騒ぎを起こしてしまう。

脳神経科の先生は、母のような人は本人がうつの自覚のないまま、体に異常が出る仮面うつ病だろうとおっしゃり、認知症といっしょにうつ病の治療も始まった。

その後私の手探りの介護も始まり、悩ましい日々が続くことになる。

母の物忘れからくる火の消し忘れなどが起こった為、母との同居が始まったが、認知症の人と一つ屋根の下に暮らすことの難しさを痛感した。

母自身は自分がおかしいとは思っていないので、私が注意すると怒り出すことが多く、母に知られないよう介護認定を受ける為の準備を進めた。

脳神経科の先生からは、認知症を進ませない為にはデイサービスを利用した方が良いとアドバイスをされ、どこの施設が母に適当かを探し始めた。

母はまだ体が元気だったので、運動をさせてくれるリハビリ施設が合っていると思った。

ケアマネージャーさんのいる事務所で紹介された施設にまずは私だけ見学してみようと予約を申し込んだ。

当日施設を訪れると利用者の皆さんが元気に運動をされていた。

スタッフの方に導かれ、椅子に座って皆さんの運動を眺めていたら、ある女性スタッフの方がお茶を持って来られた。

「今日はようこそいらっしゃいました。お母様のこと、少しお聞かせ願えますか?」
とその方に問われ、今までの母の様子、私の介護についてお話させて頂いた。

時々相づちを打ちながら聞いて下さったまだお若いスタッフの方。

大きな目で溌剌とした印象の女性だった。

私が普段、母が食器を洗ってくれるが、きちんと汚れが落ちていない状態なので、後から母に知られないようそっと洗い直すとお話しした時、
「娘さん、とてもお優しいのですね。そんな風に介護されている方、少ないですよ。よく頑張ってこられましたね。」とおっしゃって下さった。

何だかそう言って頂いた時、不意に涙ぐんでしまった。
やっと私の介護をわかって下さる方がいたという気持ちだった。
救われた思いがした。

後でその方から頂いた名刺を見たら、心理療法士と書いてあり、なるほどと思ってしまった。

ほどなくして、母はそのデイサービスに楽しく通い始め、元気を取り戻していく。

それからしばらくの間、この女性スタッフの方はデイサービスで母がどんな風に運動しているのかを度々教えて下さった。

残念ながら、途中で彼女はその施設を去ることになり、もうお会いすることもなくなってしまった。

でも、私は母の介護をしながら、いつもこの優しい女性スタッフのことを思い出し感謝の気持ちでいっぱいになる。

真っ暗闇の道をさまよい歩いていたような私を助けてくれた人はとても優しい笑顔が似合う人だった。                       

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