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少女な母 ⑥

母の認知症を進ませない為、私は母を書道やアレンジメントフラワーに連れて行っていた。

母と一緒に習い事をするのは私にとっても楽しい時間になるのではないかという期待もあった。 

振り返ってみれば、確かにそんな風に感じる時もあったと思う。

しかし、認知症の母を習い事の時間に間に合うよう、教室まで連れていくのが大変だった。

母と一緒に住んでいない頃は朝のうちに今日は習い事の日だと電話で伝えていても、出発する時間になって実家に行くと母はベッドに寝そべっていたりした。 

勿論、持っていく道具も揃っておらず、どこに置いてあるのかもわからない。
毎回、道具を探すところから始まるのだ。

認知症が進んでくるとアレンジメントフラワーの教室では、先生の指示していることがのみこめず、私が手伝ったり、先生が母にかかりっきりになって教えることになった。

今日はこんな形で作って下さいと言われても、母は自分の好きなように生けていき、何だかとても個性的なものに仕上がった。

それがなかなか斬新で素敵なものであったりもするから不思議だったのだが、どんな作品でも必ず先生は誉めて下さった。

お花の先生も書道の先生も上手に誉めて下さるから母はいつも上機嫌だった。

ただ帰宅してから、母は気に入らない花があるといきなりゴミ箱に捨てたりした。

書道でも本人が上手く書けなかったと思うものはビリビリに破って捨ててしまう。

とにかく激しい性格で困った。

特に生きているお花を捨ててしまうのは許せなかった。

それは、鉢植えで育てている花に対しても同様だった。

蕾がふくらんできて、もうすぐ花が咲くと楽しみにしているといきなり母が蕾を切ってしまう。

「何で?」

「どうして?」

といくら母に聞いても憮然とした顔で黙ったままだ。

母の日やお誕生日にプレゼントした鉢植えの花も花が終わればハサミを入れてバラバラに切られてしまうのだ。

まだ大事に育てれば、来年花を咲かせるかもしれないのに…。

そう思うと凄く悲しかった。

若い頃の母はここまでのことはしなかったように思うが、認知症になった母に何故こういうことをするのか聞いてみても無駄なことなのだろう。

母は次第に花以外にも、色々なものを切ってバラバラにしてしまうようになった。

電気毛布のコードや寝室の電器スタンドの傘まで、バラバラにしてあった。

何故そんなことをするのかは母自身にもわからないようだった。

ハサミを隠してみたりもしたが、いつの間にかどこからか新しいハサミを探し出して持っている。

お医者様にいつか言われた言葉がある。

「認知症は、それまでその人が持っていた性格がより強く出るようになる。」

なるほど、母は家を片付けるのが好きでよく色々な物を捨てていた。
大きな物はハサミで小さく切って捨てていたようにも思う。

その道具の持つ意味が段々わからなくなる中で、いらないと母に判断された物はハサミを入れて捨てられる。

母は家を綺麗にしようとしていたのだろうか。

エアコンのリモコンやテレビのリモコンも区別がつかなくなっていき、時々「これは、電話?」と聞いてきたりした。

それぞれのリモコンにテレビ、エアコンと名前を書いた紙を貼って母にわかるようにした。 

そうしたリモコンもいつか母に捨てられてしまうのではないかとハラハラした。

電話の子機が置いてあった充電スタンドもいつの間にか姿を消し、子機だけがベッドの上に転がっていた。

子機が何なのか、恐らくわからなくなったのだろう。

仕方がないので、母の寝室にあった子機も充電スタンドを買い直してリビングの親機の側に置いた。

もう、子機の意味はなさないようになった。 

母の好き、嫌いがはっきりとした性格。

気分がコロコロと変わりやすく、感情的な性格。

人に依存する性格。

認知症になってそんな性格が全て強くなって出るようになったのかもしれない。

人によっては、人格が変わってしまうこともあるようだが、母に関して言えばもともと持っていた性格のままであったとも言える。

そんな性格の母に振り回される日々に私もほとほと疲れてしまった。

     次に続きます

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