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少女な母 ⑦

母の中には時に少女がいたり、大人の女優がいたり、毎日忙しい。

ちゃんと相手の反応を見て振る舞っているようなところもあり、侮れない。

相手が気になる男性であったりすれば、口調や声色まで変わるから驚きだ。

自分の意見を通す為には泣いたり、すねたり、怒ったり。

或いは相手を誉めそやしたり…あらゆる手を使ってくる。

そうやって相手の心を動かし、自分を通してきた人だ。

私など真似できない、母の巧みな話術。

認知症になってもそこは衰えなかった。

こんな母に幼い頃からずっと操縦されてきた私は、気がつけば母の言いなりに動いているのである。

自分のわからない話や記憶にないことを人に問われれば、咄嗟に話を作って、真しやかにペラペラと喋る。

ありもしないことを顔色も変えず、平然と喋る母はまさに女優のようだった。

母の知り合いがどこかの観光地に行ったと言えば、私もそこには言ったわと言い、気がつけば世界中、日本中を巡ったことになっている。

昔母がピアノを習っていたのは本当だが、いつの間にかバイオリンもクラリネットも演奏できることになっていたり…。

もうよろよろで実際にはそんなに歩けないのに、自宅から最寄り駅まで往復30分かかる道のりを毎日歩いているとか、都会の中心地まで頻繁に出かけてショッピングしている等と喋っていた。

一番驚いた話は母がお世話になっているデイサービスに自分がお世話になっているのではなく、ボランティアに通っていると言っていたことだ。

さすがにその話には無理があると思ったが、相手も困惑しながら、「あら、そうだったの。お偉いわね~。」と聞いていた。

母の話を本気にしてしまった人にいちいちその話は本当には違いますよと言って歩くわけにもいかないので困った。

こうした行為を作話(さくわ)というのだと後で知った。

もしかしたら、母の場合、無意識の中で理想の自分を作り上げたいという気持ちがあったのかもしれない。

そうかと思うと、自分の記憶が試されるような質問をされる脳神経科の診察には行きたがらず、私が一人で行って先生とお話ししてお薬を出して頂いたりした。

内科の医院にはすんなり行くので、ちゃんと母の中で病院の違いはわかっているようだった。

認知症になっても母のようにプライドは残る。

このプライドが介護者からしたら、一番厄介なものだろう。 

自分の記憶が抜け落ちていたり、近所の道を歩いていても迷うようになり、わからないことが多くなる中で必死にプライドを保とうとする認知症の母。

せっかく自宅に集まってくれたケアマネージャーやデイサービスの施設の方々に対して自分のことを悪く言っているのではないかと勘違いした母が失礼な態度を取ることもあった。

次第に母のいないところでケアマネージャーやお医者様、母の友人等とこっそり話をすることが増えていった。

母のプライドをなるべく傷つけないように根回しをした上で母の外出や病院での診察が行われる。

それに加えて、母の数分、いや数秒おきに物事を忘れてしまう症状に付き合わなくてはならず、何度も同じ説明を繰り返すうちに夜になるとくたくたに疲れてしまった。

混乱している母も可哀想だったが、世話をしている私も可哀想だったのかもしれない。  

母が少女の世界にいたがったのも、本当は色々な気持ちがあったからなのかと今では想像できる。

認知症の人は何もわからないわけではない。

もしかしたら、私たちが考えている以上に様々なことがわかっているのかもしれない。

おかしくなっていく自分への不安、将来への漠然とした不安を抱えながら、相手が自分をどう思っているのかを常に気にしながら暮らしているのだろう。

今の母は更に体に変調をきたし、自宅での介護が難しくなってきてしまった。

進行した緑内障による視野狭窄、心臓の病が母を襲った。

そこで母がショートステイで凄く楽しかったと言う有料老人ホームに入居を決めた。

そのホームでは書道やアレンジメントフラワー、体操などのアクティビティが充実しており、私も母が楽しく過ごせそうだと思ったからだ。

母が自分から入りたいと言ったのも事実である。

確かにその時はそう言ったので手続きを済ませた。

入居もさせた。

でも、認知症の母の気持ちはそう簡単にはいかない。

そんな母の揺らぐ気持ちにどう寄り添うか。

それが今の私の課題である。

ただ、10年に渡る母の介護で疲れてしまった自分もいて、そんな自分にお疲れ様、少し休んで良いよと言ってあげたい。

いまだに母からかかってくる度重なる電話に悩まされる毎日。

なかなか私を簡単に休ませてはくれそうにない母にお願いします、私を休ませてと今は心から言いたい。

今、認知症の家族を世話されている方々に何かヒントになることがあるかもしれないと思い、この文章を綴ってきた。

子どもの育児に正解がないように認知症の家族の介護にも正解はないのかもしれない。

ホームにはお世話にならず、自宅で介護し続けるやり方もある。

その場合は、ケアマネージャーやヘルパーさん、訪問して下さるお医者様等に頼りながら、デイサービスやショートステイといったサービスを上手に活用して介護していくのが良いだろう。

福祉用具も借りると大変役に立つ。

我が家では、ベッドからの立ち上がりや転倒防止の為に手刷りを借りた。

決して一人だけの肩に介護が重くのしかからないようにしなくてはならない。

一緒にいる家族がいる場合は、家族皆に協力してもらえれば大分助かる。

私も自分自身が病気になり、手術しなければならなくなった時やちょっとした外出時に家族に大変助けてもらった。

また、飼っている犬たちにも助けられたことを書いておきたい。

母の傍らには必ず犬がいた。

どれだけ母の癒しになったことだろう。

何度も繰り返すが、介護者の皆さんが孤独に介護するのは避けなければならないと思う。

自分が肉体的にも精神的にも壊れてしまわないよう十分注意してもらいたいと切に願う。

(最後まで拙い文章を読んで頂き有り難うございました。)

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