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年商10億、年収5000万を13年継続している経営者が教える「起業して稼ぐための7つの掟」

こんにちは。起業家のつのだアントレと申します。私は20代で起業し、お陰様で約35年間、経営者としてほぼ自分が描いた企業活動を続けています。

この記事では、

(起業家対象)
・「起業しようと考えているが本当に成功できるか不安」
・「起業はしたけど、事業でなかなか稼げない」

(経営者対象)
・「現在、経営者として社内・外の問題に思案中」
・「本業の他に新規事業を立ちあげたい」
・「多角的経営を軌道にのせたい」
・「事業承継をうまくやっていきたい」

と悩んでいる人に向けて、私の経験を元に数々の教訓を披露していきたいと思っています。

今回は、稼ぐための重要なヒント7つを実話にもとづき記します。


私が起業し、稼ぎ続けるために実践した7つの掟

結論から言います。

1:損得を超えた顧客との繋がりを、まずつくること
2:決して売り込まず、独自の付加価値を先に提供すること
3:縁を大事にし絆を育て、出会いを生涯のものにしていくこと
4:顧客の人生までも背負う覚悟で商売に取り組むこと
5:次から次へと面白おかしく、新商品・新サービスをつくり続けること
6:商売を深く浸透させるため、地域密着のコミュニティーをつくること
7:単発スポット営業から長期ストック型の収益サイクルをつくること

これが、私が勝手に掟と呼んでいるものです。

私は20代から5年間の内に3社を起業しました。手持ち現金200万円からです。起業し35年を経て近年の私の会社3社の売上は年商10億円、3社からの個人年収は5000万円以上となり、今日まで13年間継続しています。

上記で結論付けた7つの掟は、起業家の皆さんがきっちり稼ぐための指針として考えてほしい内容です。掟と呼ぶからには、厳守すべきビジネス指針と言ってもよいでしょう。

この掟、私はどこから学んだのか?実は、私の母の背中で学びました。しかも尋常小学校を中退した母からです。

生家の駄菓子屋が、商いの原点

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私の家は駄菓子屋でした。私の母が一人で切り盛りしていました。昔、日本の田舎によく見られた素朴な駄菓子屋そのものです。

駄菓子屋ではあるものの、さまざまなものを扱っていました。お菓子はもちろんのこと、日用雑貨、食品、タバコなど……。今で言うなら「コンビニ」、古くは「万屋」(よろずや)のようなものですね。

その駄菓子屋、母は面白く、おかしく、けっこう好き勝手にやっていました。夏には「かき氷の出前」、冬には「手作りのおでん」、そのほか、在庫処分のための商品の「福袋販売」など。とても楽しんでいたと思います。今でも母の笑い顔が目に浮かびます。

当時、私は子どもでしたが、「よくまぁ飽きないで、次から次、あの手この手とやるな~」と思っていました。これぞ家内工業のなせるわざといったところです。

お客さんは、飴玉を買いにくる小学生から、タバコや生活用品を買いにくる大人たちまでさまざま。また、お昼どきには、近所の木工場の職工さんたちがお弁当を持って店に集まってくる。午後になると、どこからともなく近所の主婦が店に集まり、井戸端会議よろしく集会所となっていました。

母は、特に職工さんたちに対して手厚くもてなしていました。昼食のためのお茶をはじめ、おしんこ、味噌汁まで無料で提供。ちょっとした寄り合い所になっていて、いつも、ワイワイガヤガヤ騒がしい店内でした。もちろん、そこでは自然にお店のものも売れていました。ここにある種、商売の極意を感じませんか?

一つのコミュニティーを形成していたのでしょう。今風のマーケティング用語でいえば「ビレッジ戦略」(=地域の方々との接点を設け良質なコミュニティーを築くことで本来の商品を販売する戦略)とも言えます。

コミュニティーが強化されると、いつの日か、母のキャラも求心力となりお客さんは友人か親類のような関係になっていきました。もし当時、町会議員選挙にでも立候補していればトップ当選していたかもしれません。(笑)

保険成績トップなのに、なぜか保険を売り込んだことがない母の話

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母の仕事は駄菓子屋だけではありませんでした。平日の夜と日曜には、母は"保険のオバチャン"としても働いていました。その保険の営業にも驚くような「商売の極意」がつまっていました。

当時、私は子ども心に「自分が死んだら、保険会社から残された家族にお金が払われる。そして、家族は助かる」と保険のあらましを理解していました。

この仕事、私の父は最後の最後まで反対していました。保険を勧めるということは、保険に入る人が亡くなることが前提です。そのため、一歩間違えると「俺が死ぬのを待っているのか!」なんて、被保険者からは反感を買うこともしばしば。なかなか因果な気難しい商売なのです。

平穏であった家庭に突如、もめごとを持ち込んでしまうような仕事。それだけ、保険という商品は当時、市民権を得ていませんでした。

でも、母はやめませんでした。理由は単純です。駄菓子屋だけでは食べていけなかったからです。もっと言えば、父の収入で家族が食っていけなかったからです。

母の保険営業の成績は10年間以上、そのエリアにおいていつもトップでした。努力も並大抵ではありませんでした。50歳を過ぎてから車の免許をとったり、ソロバンしかできなかったのにパソコンを使えるようにしたり、人脈をつくるため社交ダンスを習ったりと。今思うと、よくやったなあと思います。

でも、母は一切、保険を売ろうとしませんでした。しかし、保険は放っておいても相手が入りたいと言ってくる。しかも、次から次へ芋づる式に。だから、10年もの間、保険契約トップを維持できていました。そこには、母ならではの奇想天外な営業戦略があったからです。では、具体的にどのような営業戦略であったか?

それは「仲人」をすることでした。

いつも、母の仕事用バックの中には20人を超える「身上書(しんじょうしょ)」が入っていました。身上書とは、結婚を希望している人の自己紹介文のことです。母は周囲の知人・友人から、結婚相手を探している両親を上手に紹介してもらい接触し、身上書を預かり、いい感じの相手が見つかれば母一流の口説き文句とともに、その身上書を渡していました。

ひとたび仲人が成立すると、仲人をしてもらったカップルは、母が保険の営業をしていることを承知しているため、母に義理立てしお付き合いで保険に入るのです。とても自然な流れでした。結婚した当事者にとどまらず、新婚さんの両親も「気がついたら保険に入っていた」なんてことはしょっちゅう。見事な連鎖反応でした。

また、本人たちに子どもが生まれれば自動的にその子も保険に入る。このほか、本人たちの兄弟や親せきにも、保険の契約が広がる。指数関数的な拡散現象。こんな関係を築くことができる仲人で毎年、5組ぐらいは成立させていたと思います。

母の世話好き、面倒見のよさは、いつの間にか地域全体に評判となり口コミが広がりました。

母にとって仲人は仕事ではありません。その証拠に仲人礼(謝金)を一切もらったことがありません。まったくのボランティアなのです。その献身的な様子が支持されたのでしょう。

また、母の仲人としての実績には殺し文句がありました。「これまで私が仲人をした夫婦で離婚をした組はない」「みんな幸せになっている」「何か家庭内の問題が生じたら私が相談にのり一緒に解決する」と、仲人を依頼してくる人には自信をもって語っていました。

今さらながら感心します。「すごい営業戦略」。しかも、「継続発展性ある長期的な戦略」だと。仲人を通じて、将来、間違いなく保険の契約に至る「約束手形」をもらっているようなものだからです。これは無限大に積み上がるストックビジネスです。

そして、仲人という立ち位置は人脈づくりにおいても決定的で強烈。なぜなら血縁関係に入り込んでいく強い絆が築かれるからです。その絆こそが生涯食べていける営業基盤と成り得る。

この営業基盤づくりは、地域密着型のコミュニティーを重視した「地縁商売」の最たるものと言えるでしょう。マーケティングの世界でいう「ドミナント戦略」そのものかもしれません。要は特定エリアに集中して地縁関係をつくるわけです。

「何を買うかよりも、誰から買うか?」に価値転換を

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商売において、販売しようとする商品、サービスの価値は大切です。それらは基本です。しかし、それ以上に売る人の価値がものをいうということも商売の世界にはあり得る。「何を買うか?」よりも、最終的に「誰から買うか?」が決め手になるということです。

すぐれた営業担当者は顧客との関係を構築することに始まり、発展させることで契約のクロージングにもっていきます。このことは営業の領域だけにとどまらずビジネス自体の戦略性にも通じると思います。

保険は万が一の時の担保として、またリスク分散として、その人の人生設計をしっかりと支えているものです。一方、仲人はカップルが新たな家庭をいかにつくり上げていくか、そのスタート点に立ち会います。

ビジネスの戦略性という観点から、保険と仲人の相関性をとらえると、分かりやすい親和性があるシナジー効果が間違いなくあります。しかも、絶妙にして密接不可分の効果性です。

つまり、保険を売る上で仲人は最高の付加価値となり得るわけです。同時に、仲人は保険に限らず農耕型の営業土壌になり得るわけです。

仲人は、その人のこれからの人生に重大な責任を持つものです。その責任を分かちあう覚悟が求められます。それが故に、保険を絡めることの必然性があり、理に適っています。ただ闇雲に趣味で仲人をしているのではないのです。

ここに「商売の極意」いや、「商売の真髄」があると思っています。母のすごいところは、この極意や真髄を誰からも教わることもなく、理屈抜きに自身の生きざまで素直に実践していたところです。戦略も手法もへったくれもなにもない、無為自然そのものにあります。

デジタル社会だからこそ、アナログ世界が求められる

母の商売は典型的なアナログ世界にあるものでした。極めて人間臭い古き商習慣かもしれません。しかも、義理と人情でガチガチに、しがらみにとらわれる日本型ビジネスそのものでしょう。経済学で言えば経済合理性がまったくないのです、一見……。

今、まさにデジタル社会。クールでスマートな人間関係が当たり前の世の中です。しかし、デジタルであればあるほど、クールでスマートな人間関係に流れれば流れるほど、「温もりのある肌感覚」がどうしようもなく恋しくなる。そして、「顔が見え実感できる安心感と親近感」を求めたくなるでしょう。これらのことは、アナログ世界にあるものではないでしょうか?

まとめ

最後にまとめとなります。冒頭の結論を再度、お読みください。

1:損得を超えた顧客との繋がりを、まずつくること
2:決して売り込まず、独自の付加価値を先に提供すること
3:縁を大事にし絆を育て、出会いを生涯のものにしていくこと
4:顧客の人生までも背負う覚悟で商売に取り組むこと
5:次から次へと面白おかしく、新商品・新サービスをつくり続けること
6:商売を深く浸透させるため、地域密着のコミュニティーをつくること
7:単発スポット営業から長期ストック型の収益サイクルをつくること

私の母の実践した商売、そして、私が学び活かしてきた背景を紹介させていただきました。商売に通じる極意を少しでも感じ取っていただき、皆さまの起業に、また経営にお役に立てれば、とてもうれしく思います。

ここまで、読んでいただき心より感謝申し上げます。

<文/つのだアントレ>

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