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味がなくなるまで楽しかったことを思い出す癖

たまに過ごせた楽しい時間。会話。それを思い出して時間を溶かす。昔からそうで、中学生の時から嬉しくて忘れたくないと思ったことはノートに綴ってきた。楽しかったことを反芻する日記。昨日だって一日中好きな人と過ごした日のことを思ってたら時間が溶けた。

過去を反芻することに、どれだけ時間を使っただろう。現実逃避してるわけじゃない。楽しかったことは、味がなくなるまで噛み続けたいのだ。ちょっと時間が余れば、その世界に飛び込む。それが私にとって1人で生きるための戦略なのかもしれない。

だって孤独なのだ。恋も愛も気持ち悪いものだ、と何かの本で読んでとても共感した。だから、一軒家の灯り全部が気持ち悪くて、同時にすごいと思う。この灯り全てが、恋とか愛がルーツであって、お互いを受け入れた証なんだと思うと凄すぎる。この道の四方八方に灯りがたくさんともっている。量が多いとそれが普通と思ってしまうし、みんなが普通にできてることを私は全然できてない、なんて思って少し悲しくなる。

自分の恋とか愛とか、みんなどういう部分を選んで相手に差し出してるのでしょうか?気持ち悪くない部分をかき集めて、相手のメリットになる形になす方法が知りたい。ちなみに私の顔は美しくないですが、整形するのもその類なのかなとか思ったりした。しないけど。

愛を受け入れられたい人の、得したいオーラは見てられない。自分がそうなりそうだから、そういう自分と距離を置きたい。

きっと受け入れられない気持ち悪さを頑張って抑えて、たまに成功した時間。会話。私は、それを反芻していたのかもしれない。次またいつ得られるかわからないから、味がなくなるまでしがむ。次のそれはどこですか?いつですか?だれですか?保証されれば今を生きることができそうだな。あっ、気持ち悪いね…。



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