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手ぶらでおーけー -バーベキューと村上春樹とブラジャー- #028

朝ウォーキングをする道すがら、「バーベキューできます。手ぶらOK」と案内がある。

「手ぶらOK」とはもちろん、道具や食材が用意してあるので、自分で持ち込まなくてもバーベキューを楽しめます、ということだ。

しかし私は、この表現をみると、別のことを想像する。人々が、自分の手で裸の胸元を隠して、続々と店に入ってくる。

手ブラ(手でブラ)だ。

「お、手ブラでいいのか、ラッキー」
「ブラする必要、ないもんね」
「これで締め付けられずに、楽しめるな」

女性のみならず、もちろん男性も上半身は裸で、老若男女、手ブラである。

手でブラをしていたら、箸がもてないではないか、と思う向きもあるかもしれない。

しかし、手ブラの便利さにはかなわない。なにしろ、つけなくていいのである。その解放感たるや。

人々は片手で手ブラをして、もう片方の手で器用に肉を焼いたり、焼きそばを炒めたり、野菜を食べたりするのだ。


そういえば、村上春樹さんの「焼かれる」というエッセイ(*1)に、1970年頃、「こういうものが女性を社会的に束縛しているのはけしからん」と、女性たちが広場に集まって、焚火の中にブラジャーを放り込んだ、という話があった。

村上さんは、それが新品だったか、ある程度使用されたものだったかが気になる、と書いていたが、私は、その時女性たちはブラをしていたのかどうか、が気になる。


村上春樹さんの別のエッセイ(*2)には、こんなエピソードもある。

ビートルズの曲「オブラディ、オブラダ」の、‟Obladi, Oblada, Life goes on, blah! ‟の部分が、「人生はブラジャーの上を流れる」と訳されていたのを、昔見たことがあったそうだ。‟blah! ‟は掛け声だから、たぶん誤訳だけど、そのイメージは面白くて気に入っている、と村上さんは書いていた。

それを読んだ読者からの手紙が、後日付記で紹介されていた。

高校の英語のクラスで、先生がやはりその歌詞を、「時はブラジャーの上を流れる」と訳した。クラスのみんなは意味が分からなかったが、ある生徒が手を挙げ、「それは『人生、山あり、谷あり』ということじゃないでしょうか」と言って、全員で大笑いした、という。

ブラひとつとっても、人生いろいろだ。私は残念ながら、したことがないのであるが。

「手ぶら」のバーベキューを想像して、今日の夕飯には肉を食べようかな、と思う。


*1 「焼かれる」『村上ラジオ』より(村上春樹、新潮社、2001/2003)

*2 「オブラディ、オブラダ、と人生はつづく」 と巻末の後日付記『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』より (村上春樹、新潮社1997/1999)

『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』(村上春樹、朝日新聞社、2000)の特別付録「歌詞の誤訳について」の冒頭にも、このことについて書かれています。

2023年11月12日執筆、2023年11月23日投稿



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