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蚊にさされすぎる -4つの作戦と、仏の境地-#009

突然だがちょっと聞いてほしい。蚊に刺されすぎて辛いのである。

大きな湖のある公園に毎朝散歩に行っているのだが、この前は十一か所も刺された。それも十分足らずの間にだ。ちょうど六時半のラジオ体操が始まる時間に公園に着き、数十人の(もしかしたら数百人の)、多くは年配の人々と体操するのだが、私たち夫婦はその時間にとんでもなく刺されるのである。

「あ、右の太もも」
「ほんとだ!そっちも、左足首!」
「うわっ」

体操どころではない。蚊の間には情報ネットワークがあるのかもしれない。

「あいつらが来たぞ。仲間に連絡だ!」
「緊急放送!ムクゲの木の前、例の二人組。産卵予定の奴が優先だ」
「よし、いくぞ!」

こちらは申し訳ないながらも、何匹か退治しているのに、その情報は伝わらないようだ。

「くそっ、こいつら、簡単には吸わせてくれやしねぇ…」
「姉貴がやられた!」
「…撤退だ!あいつらぼーっとしていそうに見えて、なかなかだ。仲間に伝令だ」
とかなんとか、伝えてほしいわけである。しかしそういう様子はない。

今までに、いろいろな作戦をやってみた。

作戦①
虫よけスプレー作戦。ネットで評判のスプレーは、我々にはなぜかまったく効かなかった。

作戦②
刺されても気にしない作戦。私自身は割とできるのだが、妻が「あ、こことここ、刺されてる。ここも!」と私の刺された場所を、嬉々として次々指摘してくるので、気になって仕方がない。

作戦③
寄付、献血と考える作戦。妻がどこかから得た情報によると、血を吸った蚊は多く卵を産めるらしい。「蚊のために献血だ」と微笑みながら、言ってみる。しかし、問題は止めどないことだ。献血だったら看護師が「400mlとったから、あと一か月はできませんよ」など言ってくれる。しかし、蚊は次々とやって来る。食料の配給か。

作戦④
蚊について知る作戦。あるテレビ番組で蚊の専門家が、蚊の生態を説明し、「私の夢は人と蚊が共に生きていけるようになることです」と熱く語っていたのに感動し、感化された妻は、「もう蚊は殺さないから」と力強く宣言した。しかし三日後にはバシバシ叩いていた。「やっぱり無理」とのこと。

蚊との戦いは、今のところ完敗である。

しかし不思議なのは、年配の方々はそれぞれ元気に、あるいは優雅に、個性的に体操されているのであって、蚊と格闘している様子は見受けられないことだ。ウォーキングしながら聞こえてくる会話も、食べ物の話や、天気の話、「あそこの木の根っこが危ない」という話などで、蚊は登場していないようである。刺されていないのだろうか。

実は高齢の方も刺されているのかもしれない。刺されていても、気にしていないのかもしれない。

悟りの境地。その公園にはきれいな白い蓮の花がある。

いや、刺されていても気づかないのかもしれない。そうだとしても構わない。私もいつの日かそういう境地に到達できるだろうか。

(追記)
これを書いたのは夏なのだが、秋になって蚊が減ってきた。寂しいかと言えばそうでもない。ところでインドには蚊が多く、蚊の柱が立っていると聞いたところがある。インドに興味があるが、生きて帰れる気がしない。

2023年9月27日執筆、2023年10月7日投稿


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