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予言してあげる、君は酔えない。

 お酒に酔っている人を見ると楽しそうだなと思う。誰かとお酒を飲みに行っても周りの空気に酔ってはいるが、自分自身が酒に酔って楽しくなり気が大きくなることはない。ひたすらに頭が痛くなるだけだ。お酒に酔わず、空気に酔って、酒に酔ったふりをしているところが大きい。酒を飲むとかえって酒を飲む自分をメタ化して眺めて冷静になってしまう。むしろ疲労困憊にさせたほうが周囲からの視点や普通はどういう風に行動するかといった他者からの意識の意識(専門用語ありそう)が薄れて、本音とか余計なことをいう。だから多分一人でお酒を飲むことはないんだろうなと思う(20の誕生日に行ったバーは除く)。晩酌は寂しいからできたら一生したくないが。
 振り返ってみると小中ではお酒は飲まないとうっすらと決めていた。体には悪いし、中毒状態になれてしまったら自力で解除することなく負のスパイラルにはまっていくだろうし、頭も悪くなるから社会人になってもできたらお酒から逃げようと考えていた。ましてや未成年飲酒など一口、一滴でもしないと誓っていた。
 今は、でも、お酒に少しの憧れがある。今のように一つのコミュニュティーでなく、複数のコミュニュティーの中で飲みに行けたらなあ、あの空気をまとい一種の青春像に自分を同化させられたらいいなとも思う。誰かの酔っているのを見るのが楽しいというのもある。単純にいろいろな美味しい?お酒を堪能してみたい気もする。まあ酔えないんだけどね。ジュースでいいじゃないかと言ったらそうなんだけど。
 ところでタイトルに見覚えがある人はいたかもしれない。俺ガイル(「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」)で比企谷、結衣、雪乃の三人の関係を「共依存」と断言してその脆さと贋物性を告げた後に、家路につく比企谷に付いてきた某陽乃さんの言葉だ。この言葉はハイコンテキストな環境下での発言なので解釈割れも起こしそうだが、私は以下のように解釈している。彼は集団で「青春ドラマ(ごっこ、偶像)」のキャラクターに自分を埋め込むことができない。集団での役割を持ち、一種のパターン化された理想に自分を近づけられない。自分の心の欲するところに従ひて行動したいと思っている。だから酒に酔って大学生、社会人している自分を肯定し、その役割の中に自分を(一種の)固定化することができない。
 多分僕は空気に酔える。たまにメタるが酔える。そういうごっこは否定しないし、人が考えることって本能的なものとかばかりでなく、意識的にでも無意識的にでも誰かの考え方のフレームワークを内在化してそれに従って行動していると思っている。だから、その像の外部性を意識するか否かであり、そういった自分でないものに従って行動していることには変わりない。そういうところも比企谷の間違いの一つなのだろう。
 周りにもお酒があまり好きじゃない人が多い。ひねくれた人が多いのだろうと思う。でもそのひねくれた人たちの醸造する空気に僕はおそらく酔っているのだろうな。
 



 

PS
預言してあげる、君は酔ゑない

なんか言葉のリズムがすき。


酔ひえひ

もなんかいいよね。