書店員、初めて選書してもらう
通り過ぎる瞬間、思わず一冊の背表紙に惹かれるように、ひとつのツイートが目に留まった。
CAVA BOOKSさんは京都出町柳にある書店。商店街の一角に佇む副業施設「出町座」の中にある。カフェやシアターが併設され、一歩踏み入れば立ち込める濃密なカルチャーの香り。カウンターで一杯傾けながら上映時間を待つ客を背に、しっとりと本を選ぶ時間はちょっと他では味わえない。
京都文学レジデンシーについて調べてみると、世界各国から作家や翻訳者を招致し、滞在期間中、講演会などのイベントを開催しながら創作活動を支援しているという。実行委員には京都にゆかりのある作家や翻訳家が名を連ねている。私もその作品を読み信頼を置く方々である。
その京都文学レジデンシーのメンバーが選書した海外文学作品が半年間、月に1冊届くサービスが始まるという。世界の文学シーンの最前線を知る方々のお墨付きが好きな書店を通して送られてくる。想像するだけで胸がときめく。
選書サービスにはかねてから興味があった。本好きになればなるほど、本を勧められる機会は減る。その上、書店員になったものだから、気軽に本の話すら振ってもらえない。利用してみようといくつか調べてみたことはあるのだが、すでに読んだ本ばかり届く可能性を考えるとなかなか踏み出せず……。
そこへきて、今回は”直近3ヶ月以内に刊行されたもの”という条件付き。大学時代に英文学を専攻し、翻訳された文章への抵抗感は少ないはずだが、社会に出てからはつい国内の文芸作品に手を伸ばしがち。ここ3ヶ月は海外文学は購入していないから、これまで懸念してきた「既読本が当たる可能性」はゼロ。6ヶ月目に届く作品がまだ日本では発売されていないというのも、浪漫があるじゃない。月1冊だから一気に積読が増えてプレッシャーに、なんてこともなさそうだ。
料金2万円は私にとって決して安くはないが、いかんせん翻訳作品自体が高価だ。選書料が含まれているとはいえ、これまで検討してきたサービスの中でも書籍代の割合は十分に高い。購入することで、京都文学レジデンシーの活動を応援できるのであれば、文学のさらなる発展と新たな名作の誕生に多少なりとも貢献できる。本好きとしてこれ以上ない買い物ではないか。
なにより情報を知った時には、受付期間が終了していることも多い。期限内に巡り合えたご縁を大事にするべきかもしれない。
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申し込みから約半月。待ちに待った配本の1冊目が届いた。すぐに開封したい衝動をぐっとこらえ、しばしネコポスの茶色い袋の上から本の輪郭をなぞり、中身を想像する。ハードカバーの硬さはないが、新品の凛としたハリが伝わってくる。思っていたより薄く軽い。これなら久しぶりの海外文学作品でも読みきれそうだ。
働き方を変え、給料が減ってからは、自然と自分にとって価値が保障されているものばかり選ぶようになった。化粧品はリピートして詰め替え、服は無難なものを色違いで押さえておく。遊ぶ場所は近場になり、ご飯も結局チェーン店に入ることが増えた。こうして中身の分からないものにお金を払い、分からないまま抱きしめる時間はとても贅沢だ。
むくむくに期待を膨らませ、息を整えてから、袋の口を開ける。ポップでカラフルなCAVA BOOKSさんのブックカバーが覗いた瞬間、粋な計らいに思わず感嘆の声が出る。封を開ける楽しみと表紙と対面する楽しみを分割してくれるとは!
選書の説明の用紙と一緒にビニールで丁寧に梱包されていたのもうれしい。大切に扱われたものを手にすると自分も大切に扱われているような気分になる。心のぽっかり空いた部分を埋めてくれるようなそんな届け方・受け取り方が本にもあっていいんじゃないかと気づかされる。
記念すべき1冊目は、翻訳家の吉田恭子さんの推薦本、ナヴァー・エブラーヒーミー『十六の言葉』。モウナーは祖母の葬儀のためドイツからイランに帰郷する。十六のペルシア語に引きずられるようにして思い出は呼び起こされ、記憶の断片はやがて真実でつながれる。二つの文化の間で揺れる彼女のまなざしを通して、言語が背負い縛っているものの姿を映し出す。
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(河出書房新社)や西加奈子『サラバ!』(小学館)など、これまでもイランを舞台にした作品に触れてきたし、二つの言語の間で起こる葛藤という点ではグレゴリー・ケズナジャット『鴨川ランナー』(講談社)を読んで以来、突き詰めてみたいテーマであった。全員に同じものが届くはずだが、そのときの自分の関心を反映した作品が巡ってくるというのが、本の不思議なところだ。
ちなみに本書はひとり出版社「駒井組」が手掛ける1作目だという。代表の駒井稔さんは「光文社古典新訳文庫」を創刊された編集者。古典的名作の「なんやよく見るとおどろおどろしい表紙」で「翻訳感の残るお堅い文章」というイメージを刷新し、白を基調とした洒落た装丁、今使われている言葉で語り直したこのシリーズには学生時代とてもお世話になった。『十六の言葉』のスリップには「気張らず、肩の力を抜いて、しかし質の高い文学作品の刊行を目指します。」とある。広く取られた余白や、するすると目に入ってくる文字組みが、読者の「翻訳作品」や「文学」に対する無駄な力を吹き払ってくれる。
11月3日には駒井さんと『十六の言葉』を翻訳された酒寄進一さんのオンライントークイベントも。時を経てもあせないのが文学のいいところだが、こうしたイベントは刊行ほやほや限定の楽しみだ。「直近3ヶ月」の条件には、ただホットな作品に触れてほしいという思いだけではなく、みんなで読みを深めながら味わう意図もあったのかな。
世界中の数ある作品の中からこの本を選び、日本に送り出した出版社と翻訳家がいて、数ある翻訳作品の中からたった1冊この本を選んで紹介する人がいて、数ある販売方法の中から選書というサービスを選び届けてくれる書店があり、数ある選書サービスの中から中身もわからないまま選び申し込んだ人たちがいる。
本を読みながら彼らの気配を感じる。
「選ぶ」という行為の結果、ここまでつながった幸運が作品との結びつきを強くしてくれる。演劇や映画と違って、読書はいつも作品と一対一だ。その神聖な孤独が私は好きだけれど、ひとつの本を愛でることで連帯を感じる読書も同じくらいステキだと思う。
大奮発して得た6か月間の贅沢。「選ぶ」に込められた思いや願いを存分に受け取って、嚙みしめたい。
◉ナヴァ―・エブラーヒ―ミー『十六の言葉』(駒井組)
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