無趣味でもいい。まずは自分の満たし方を知って、緩やかな生活を
「趣味なんですか?」
今までの人生で、この質問を受けたことのない人などいないだろう。私はこれにうまく答えられた試しがない。
趣味=特技とまでは言わないけれど、趣味というくらいなんだから、そりゃあその分野には詳しいよね、だって好きなんだから。みたいな圧を感じてしまう。全て妄想なのだろうけれど。
でも皆、無意識に質問してしまうだろう。例えば読書が好きと言ったら、じゃあ好きな作家さんは誰?と続けて聞かれる。これに私は"面接っぽさ"を感じてしまう。答えられるのだけれど、細分化した先の答えは、"いいもの"や、"相手が求めていそうなもの"を答えなければ!という迷いや葛藤、気負いのようなものが起き、それが自分の心に窮屈さを生み出していた。
だから私は昔よく「趣味…ないですね…」と答えていた。何かを答えてがっかりされるくらいなら、何もなくて話が終わる方がお互いにいいと思ってしまった。
そんなふうだから、大人になっても友人は上手くできないし、会社内での人付き合いもなんだか距離ができる。いや多分それ以外にもっと私自身に問題があったのだろうけれど。
「つまんねえやつだなあ」とよく言われた。自分でもそう思う。うちに秘めたものをある程度開示しなければ、人と仲良くはなかなかなれない。私はそもそも突出したコミュニケーション能力もないから余計にだった。
そんなつまらない私は、まさしく"つまらないこと"で悩んでいた。その一番の時期は新卒で入った会社に勤めていた頃だったと思う。
・・・
私の勤めていた会社は体育会系だった。
とにかく飲み会が多かった。声が大きい方が偉くて、お酒がたくさん飲めた人間がその場を仕切れていた。少なくとも私からはそういうふうに見えていた。
私はもともと声も小さく、お酒も弱い。恥ずかしい話だが、カシスオレンジ1杯で顔が赤くなってしまう。
飲みの席に存在しているだけで苦しかった。お酒は弱い。趣味もない。もちろん特技もない。さすれば話題も作れない私は、ただ人の話に頷き、下手くそな愛想笑いをした。
ひたすら人の話を聴いた。
自分に話を振られれば、よく場を白けさせた。そんなつもりはないのに、皆の目が怖かった。笑いが取れないというのは、私にとって涙が出るほど怖いことだった。
飲み会が終わり、家に帰ると涙が出た。情けなさとか不甲斐なさ、自分の心の狭さとか、色んなものが入り混じった苦い涙だった。
そんな涙を流しながら、私は帰り道に買ったハイボールを飲んでいた。当然すぐに飲み干せたりはしない。ちびちびと少しずつ飲む。私はお酒がうんと弱いが、お酒を飲むのは好きだったのだ。
せいぜい1缶飲むのがやっとだけれど、ハイボールやレモンサワーをよく好んで家でひとりで飲んだ。お酒にのまれていたわけではなく、シンプルに味も高揚感も好きだった。そして自分の限界値も重々心得ているから、吐き出したり、気持ち悪くなるまで飲んだりは絶対にしなかった。
お酒は美味しい。
本当に美味しかった。
けれども、人前で「お酒が好きです」「趣味はお酒を飲むことです」なんて、言えっこない。
「お酒どれくらい飲むの?」
「さぞ酒に強いんだろうね」
「じゃあ今度飲みにいこうよ」
なんて言われるのだろう。
誰も悪くない。強いて言えば私が悪いかもしれない。
だんだんと「趣味」という言葉も苦手になった。お酒が好きな私は、ずっと無趣味のまま生き続けた。他にも散歩や珈琲も好きだが、私はあくまで無趣味だったのだ。
そんな中、数ヶ月前私に恋人ができた。
8年ぶりの恋人だった。
彼女はお酒が強く、ごはんを食べるのが大好きな人だった。
彼女はお酒を普段からよく飲むから、自然と私を誘ってくれる。
「一緒にお酒飲もうよ」
そう。とても自然だ。そして私は答えていた。「顔が赤くなるから恥ずかしい」と。
なんてつまらない男だろうか。でもそうだから仕方がない。大好きな人が目の前にいても、、いや、大好きな人の前だからこそ私はとても恥ずかしかった。また情けないと言われたり、赤い顔を笑われたりするのが怖かったから。
そんな私に彼女は言う。
「赤くなっても大丈夫だよ。そんなの気にする必要ない。無理に飲んではほしくないけど、お酒が好きなら私の前では飲んでほしいな」
私は彼女の太陽のように明るい笑顔が好きだった。朝日のように薄く優しい光のときもあれば、真夏の日差しのように力強く抱きしめてくれるときもある。冬の陽光のように、私の目尻を拭ってくれたりもする。
私は現在、彼女の前でだけ、気兼ねなくお酒が飲める。趣味は相変わらず誰かの前ではうまく答えられないけれど、私はお酒を飲むのが変わらず好きだ。その「好き」を、彼女の前で、そしてここnoteで表現できることを幸せに思う。
お酒を飲んでいる、嗜んでいる時間はとても幸せだ。お酒に私は詳しくないし、強くもない。趣味とは言えないけれど、私の心を存分に満たしてくれる。
本当は露店みたいなところでも飲んでみたいし、弱いながらもいろんなお酒を試してみたい。誰になんと言われようと、お酒が好き、お酒が趣味と言える日も来るかもしれない。それはまあ、もっと先の未来でもいい。
今の私は、彼女とお酒を飲む時間がとても好きだ。心起きなく顔を赤くして、大好きなお酒をちびちびと飲んでいる。とても満たされる時間だ。
心の底から自信を持って趣味を言える人を私は尊敬する。もちろん他の誰かに気軽に言える趣味もあっていいと思う。というか趣味の重みはそれくらいで十分なのだとは思う。
ただまずは自分で自分を抱きしめ、誰かに伝えられなくても楽しめる"趣味みたいなもの"を、私はこれからも大切にしたいと思う。きっとそれは自分の心を満たしてくれるものだから。
例えば私は、朝起きてカーテンを開けるのが好きだ。しばらく太陽を浴びてぼーっとするのが好きだ。起き抜けに珈琲を飲むのも好きだ。休日は散歩もしたい。スマホで撮る程度だが、写真も好きだ。人と話すのも本当は好きだ。キッチンカーなんかを街で見かけると、そこの人と話したくなってしまう。ベンチに腰掛け読書をし、うとうととするのも。もちろんお酒を飲むのも好き。あとそれから——
私に相変わらず趣味はないけれど、自分の満たし方をたくさん知っている。それを抱きしめ、今日も生きたい。
ずっと人間は元気でいられないのだから。自分の満たし方を、いつでも取り出せるよう心の救急箱にそっとしまっておくのである。
詩旅つむぎ
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