イヤシノウタ

思想と表現が繋がって、心と体が癒されますように

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最近の記事

誰が何と言ったって

「誰が何と言ったって」といえるほどの意志が持てるという事は幸せなことだ。ある意味では無知だし、ある意味では無駄な知識を削ぎ落しているともいえる。 長い人類の歴史の中で、ここまで周りのノイズが良い意味でも悪い意味でも四六時中耳に入ってくる時代はないだろう。共通認識や絶対的な正解がなくなりつつある現代で、何かを捨てたり何かを批判することの方が実はわかりやすくて簡単であるという事を学んだ。「誰が何と言ったって」という意見をお互いがそれぞれ持っているという二極化した状態は、絶望的な

    • 夢と現

      小さい頃から、不思議だったことがある。 私たちは、あまりにも自分の「視力」や「聴力」というものを信頼しすぎではないだろうか。 「自分が見聞きしたものしか信じない」という考え方があるが、人間の優れた構造にも限界というものはある。いくら信じないといっても、この眼球にも、鼓膜にも、届かない世界というのは確実に存在する。実際、自分の体を構成する細胞などのミクロの世界は道具を使わない限り見ることは出来ないし、上を見上げても宇宙というマクロの世界を直接見ることは出来ない。イルカの会話

      • 脱皮

        歳を重ねるに従って、どんどん正直になっている気がする。 大人になるとみんな、見栄を張ったり妥協したり媚を売ったり世間体のために自分を作るように小狡くなっていくのかと思っていた。 「大人と子供の間」なんて時期も過ぎてきたこの頃、そんな大人像とは裏腹にどんどん正直になっていっている自分に驚く。 小さい頃の方が見栄を張って出来ないことを出来るように見せたり、知らないことを教えてくださいと言い出せなかったり、好き嫌いを抑えたり、人からの印象を裏切らないように自分を偽ったり、とに

        • 『映画:フィッシュマンズ』

          高校生の時、underslowjamsの『PHONETIC CODE』というアルバムにはまっていた時期があった。その中の一曲、”いかれたBABY”を聴いたときの衝撃といったらなかった。勝手にだけど日本のレゲエは夏!海!魂!みたいなイメージを持っていただけに、その永遠に霧の中にいるような曖昧でつかみどころのない感じ、怪しさに衝撃を受けた。 何においても、出会うときは出会うものなのである。 原曲は、「フィッシュマンズ」という奇妙なバンドだった。今まで知らなかったことの方が不思

        誰が何と言ったって

          いつでもティーンムービーに帰っていいんだよ

          ティーンムービーが好きだ。定義がよくわからないので正確にはどんなものをティーンムービーと指しているのかよくわからないが、私の中でのティーンムービーは”青春っぽいもの”である。まあ評論家でもないので馬鹿っぽいことを真剣にやって泣いたり笑ったりの青春劇を切り取った10代向けの作品をここではティーンムービーとしておこう。 初めて映画を見て心の底から感動したり幸せな気持ちになったときのことは、はっきり覚えている。小学6年生の時だ。 当時習っていたダンスの先生に勧められて観た、『天

          いつでもティーンムービーに帰っていいんだよ

          こんなもんでいいや

          すべて自分で選択して好きなことをしているはずなのに、忙しくなってくるといつの間にか「したい」や「やってみよう」ではなく「しなくちゃいけない」にすり替わっている。自分の気づかない間に自分で自分を「やらなくてはならないこと」でがんじがらめにしている。 ここ二か月はそんな盲目が故の忙しさがずっと続いて、すぐには結果の出ないことやコツコツ続ける習慣、身の周りの大切にしなければいけないこと、生活を蔑ろにしてしまっていた。分かるはずもない遠い未来の想像や新しく始めたことに対する漠然とし

          こんなもんでいいや

          好きと中毒

          眠い眠い眠い 何をしてても眠い。何もやる気が起きない。誰とも会いたくない。ずっと引きこもって眠っていたい。 やろうと思っていたことも全く集中ができない。どんどん自己嫌悪に陥る。何か作業をしていてもどんどん眠くなって「五分だけ寝よう」を繰り返してどんどん深みにはまる。気が付くと一時間無駄にしている。深海に飲み込まれていくような夢を見た。抜け出せない。 一日何もないという贅沢な時間をこれ以上無駄にできない。時間がたっぷりあると思うと逆に余裕をぶっこいてだらだら過ごしてしまう

          あの頃

          タイムスリップしたり、人格が入れ替わるような内容の物語がどうも苦手だ。 タイムスリップはつまり時間の流れに逆らう事。人格の入れ替わりはこれまでの自分の人格形成に関わったすべての物事に対して逆らう事。すなわち自然の流れに逆らうことを夢見るほど「あの頃」に戻りたい、違う自分になりたいと願うような願望自体に嫌悪感がある。 多くの人が人生の中でそんな願望を持ったことがあるからこそ、こういう物語に需要があるという事はわかっているが、もし自分が「過去に戻れるとしたらいつからやり直しま

          蜂と神さま

          金子みすゞの詩で、『蜂と神さま』というのがある。 小さな小さな蜂から、神さまという存在にまで広がって、また小さな蜂に戻ってくる。何かの漫画の中で出てきて、漫画の内容は忘れたのにこの詩だけ覚えていた。 前回の「世界の中心で、愛をさけぶ」で話した自分中心の世界は、ここに繋がってくる。自分が中心というより、一人一人の中に、神さまがいるのだと。この神さまは、人間のイメージする偶像としての神さまではなく、心の声というものではないだろうか。 人間、偶然は必然であると気づく瞬間、つま

          世界の中心で、愛をさけぶ

          色鉛筆の”はだいろ”を”うすだいだい”という表記にしたり、LGBTQなどの多様な性に対する無理矢理な理解してますアピール、女性蔑視に対する過敏すぎる反応、コロナ禍おける若者への目。 世の中、多様なものを理解しようという思考が先走りすぎて、逆に世界を単色化しているように感じるのは気のせいだろうか。なんでもかんでも違いを受け入れて手をつないで一緒になって歩んでいこう。そんな生ぬるくて薄いつながり、共通認識がどんどんひろがっている。差別を擁護しているわけでは決してないし、運動を批

          世界の中心で、愛をさけぶ

          ままならないのに

          人生を完全にコントロールする。そんなの自分自身にだって無理だ。そんなままならない人生、ままならない世の中。ままならないからこそ、流れに身を任せるしかない時もある。 なのにふと、死ぬほど人の人生がうらやましくなる時はないだろうか。私は基本、同じようなことをしてる人に対してあの子よりももっとすごくなりたいとかは思わない。例えば上手いダンサーや同い年くらいで本を出してたりする子に対して「私だって」とか、「あの子より認められたい」とか、ありがちなライバル意識を持ったことが記憶の限り

          ままならないのに

          すきなもの2021

          エッセイの中では面白く感じるのに、いざ自分が書こうとするととことんどうでもいいテーマに感じる。「すきなもの」といっても「犬」とか「ダンス」とか直接的な癒しや生活の軸になっているものじゃなくて、日常の中で軸をひそかに支えているものを掘り起こしてみるのはどうだろうか。何もしていないつまらない日の中にも、実は自分の「好き」は充満しているものだ。すぐに思い浮かぶ表面的な「好き」ではなく、どうしても嗅いでしまうもの、どうしても触ってしまうもの、どうしてもやってしまうもの。足しになるので

          すきなもの2021

          なくてもいいもの 2021

          椎名誠著『殺したい蕎麦屋』(2013年、新潮社)を最近読んだ。椎名誠さんの作品は読んだことなかったんだけど、坂口恭平さんがnoteの『お金の学校』で椎名誠さんの文体を「湧き水のように読める」(確か)と表現してて気になったので近くの本屋にある中で手に取ったもの。 読んだ瞬間に坂口さんの表現に納得。喉の乾いた状態で出くわしたおいしい湧き水のようにすんなり頭に入ってくる率直素直な文章。エッセイなので日常的で椎名さんの生活を覗いてるみたいで面白い。そんな中で私もやってみたいと思った

          なくてもいいもの 2021

          心地よい静寂

          小学校から高校まで、書道の時間が一番好きだった。書初め、習字、硬筆。全部が好きだった。大学生になって筆はおろかシャーペンさえ握る機会が少なくなって、代わりにタイピングばかりが増えていく日々。ペンと紙で思考を文字に起こすのは好きだから人よりはペンを握っているとは思うけど、それでも日記とか手紙とか手帳ぐらいしか書く機会はない。義務教育の毎日ペンだこができるぐらいまでシャーペン握って勉強してたのが噓みたいだな。(勉強割と好きだったので) 日頃から書く日記とか手帳は雑に書きなぐるよ

          心地よい静寂

          尖るほど、丸く

          世間一般では、大多数の指す向きと逆の向きを指していたり、周囲に馴染めない、そもそも馴染もうとしていない、自分が信じた事だけを突き通して反対する意見は否定するなどの簡単に言えばマイノリティに属する人を「尖っている」と表現する。 そしてその人たちが、歳を重ねるごとに温和になって物腰が柔らかくなったり今までは絶対に賛同しなかった意見に賛同するようになるなど、周囲との隔たりが少なくなる事を「丸くなる」と表現する。 この「尖る」から「丸くなる」という工程は、様々な事を経験して正解や

          尖るほど、丸く

          イマジン

          想像力ってなんだろう。 最近は家にいる事が多くて、お昼ご飯を自分で作らなければないから、冷蔵庫にあるもので何が出来るかっていう実験をしてる。これが意外に楽しくって、毎日冷蔵庫と睨めっこして今日はこれが作れるかもしれないと思う。大したもの作れるわけじゃないんだけど、うまく作ろうとしないでこれとこれ混ぜたら美味しくなるかもしれないっていう楽しさのまま作ると意外と美味しいものができる。 料理をしてて思った。「これは才能でも知識でもなく想像力と実践だ!料理は想像力!(偉そうな事言