好きと中毒

眠い眠い眠い

何をしてても眠い。何もやる気が起きない。誰とも会いたくない。ずっと引きこもって眠っていたい。

やろうと思っていたことも全く集中ができない。どんどん自己嫌悪に陥る。何か作業をしていてもどんどん眠くなって「五分だけ寝よう」を繰り返してどんどん深みにはまる。気が付くと一時間無駄にしている。深海に飲み込まれていくような夢を見た。抜け出せない。

一日何もないという贅沢な時間をこれ以上無駄にできない。時間がたっぷりあると思うと逆に余裕をぶっこいてだらだら過ごしてしまう人間のこの心理は何なのだろう。私だけじゃなくてみんなそうなのだとどうしても信じたい。

せめて練習だけでもしたいと、重い身体を起こしてストレッチと筋トレからなんとなく始める。いつもはここで気合が入る。さあ動かそうという気持ちになる。今日はいつまで経っても集中できない。できれば動きたくない。いつもは15分くらいで終わるのにだらだらやるので倍時間がかかる。

練習し始める。まだ体がふわふわしている。頭でリズムを考えながらほかのことを考えて次第に嫌な思い出まで思い出して泣きそうになる。集中できない。入り込めない。自己嫌悪と当時の嫌な感情との混じり合いで泣きながら無理やり体を動かす。そんな日はやめとけばいいじゃないとも思う。だけど一度甘え始めるとずっと甘えてしまう気がする。何事もできるときにやっておかないと後々結局やっておけばよかったと思うことが多い。性格上行動に移すのが遅いのでタイミングが合わずに後悔したことは数知れず。こういうところから少しずつ直していきたい。

二時間経ち、ようやく入り込めてきた。楽しい。やっぱり踊りがないとだめなのだ、と思う。三時間経つと身体も思うとおりに動いてくれて、気持ちいい。程よいところで終わらせる。始める前は世紀末のような顔をしていたのに、もう鼻歌を歌いながら後片付けをしている。

そういえば昔は、「好きなことは何ですか」という質問に心の底から「ダンス」と言えなかったな。毎日自分の意志に関係なく踊らされていたからだろう。大人になってやっと、ちゃんと好きなんだな。ないとだめなんだな。と気づいた。日頃からずっと踊りのことを考えてて、常に研究しているとかでもない。一生これで食べていきたい、誰よりもすごくなりたい!とも思わない。

ただ、弱っているときや何にも触れられたくない、触れたくない時にこそ沁みるものというのは、心の平穏を取り戻してくれるものというのは、きっと心底好きなものなのだろう。

体調が良くて、なんでも出来そうな気分の時にはなんだって受け入れることができる。だけど、弱っている時には本当に好きなものしか受け入れられない。これは本能的なことだと思う。誰だって死ぬ直前の限られた時間にどうでもいいことや嫌いなものは受け入れたくない。

全然思い通りにいかないし、自分の価値がわからなくなる時もある。受け入れられずに落ち込むこともある。でも踊りという点滴のような栄養剤を見つけることができているというだけで、人生大体大丈夫そうだなと思う。

男女問わず好きなことを仕事にしている人って格好いいなとか、多趣味な人って面白いなとかいろいろ思っていたけど、そういう事じゃなかったのかもしれない。どんな仕事をしていても、趣味という趣味がなくても、おしゃれじゃなくても、自分が弱ったときに気持ちを取り戻す確固たる何かを持っている人が好きなのかもしれない。それが「踊り」でも、「音楽」でも、「場所」でも、「誰か」でも、「匂い」でも。そういうものがないと、きっと甘えさせてくれる何かに依存してしまう。「依存」や「中毒」と、「好き」は全然違う。

「依存」や「中毒」はただの甘えで、本当の栄養になるような「好き」は、その甘えた状態から救い出してくれるようなものだと思う。

そう考えると、技術の進歩に伴って社会が生み出すものというのは中毒性の共なるものや依存性のあるものばかり。そうしないと経済がまわらないからだろう。「好き」と「中毒」を混在させてダメ人間をどんどん作り出そうとしているんじゃないのか。

「中毒」や「依存」に埋もれて、ただの奴隷と化すのか、自分に適切な栄養を見つけるのか。提供されたものをただ接種するのか、自分で考えて選ぶのか。

人生って難しいですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?