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ガラパゴスから広島へ、旅する手紙をたずさえて


「ガラパゴス諸島の生物は、独自の進化を遂げているのです」

九州の片田舎で狭苦しさを抱えながら葛藤していた中学生の私は、国語の教科書でその島のことを知った。

「天敵はいません」

うそでしょう、と思った。
天敵もいないのに多様な生物が一緒に暮らしているなんて、奇跡でしかないと胸が高鳴った。

ガラパゴス諸島は、夢のような島だ。

あの時の憧れを抱いたまま大人になった私は、9年前、ようやくその地に足を踏み入れることができた。ちょうどロンサム・ジョージが亡くなってすぐのことだった。

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大きな船で寝泊まりすること1週間。
その間、さまざまなことがあった。

波に揺られて全然眠れなかったこと。

フェリーから乗りかえた小舟が速すぎて、引っくり返りそうになったこと。

カメと一緒に泳ぎ、竜宮城はたしかにあるぞと感動したこと。

人間のゴミが、生物たちに大きな被害を与えていると改めて知ったこと。

ウミイグアナが笑ったような顔で鼻から塩を吹き出す姿の愛くるしいこと。

ゾウガメは本当にフィンチに体の掃除をしてもらうこと。


目に映り込むすべてが彩りに満ちていた。
ああ、私は今、一生に一度の経験をしている。
その光景を目に焼き付けるのに必死になった。


***

でもなぜか特に記憶に残っているのは、ポストのこと。

何日目かの朝、ガイドに連れられてフロレアナ島の海岸に降り立った。その砂浜には小さなポストがぽつんと立っていた。

木製樽でできたそれは、風雨にさらされ茶けていて、もう何年も、何十年も、変わらずそこにあるかのような佇まいだった。

無人郵便局。
配達員は旅人。

訪れた人がポストの中を確認して、おのおのが自国の手紙を持ち帰り、切手を貼って投函するという仕組みなのだと、ガイドが教えてくれた。

いわば、善意で成り立つポスト。

届くかどうか分からない。世界中の誰の手に渡るかも分からない。
私も半信半疑で絵ハガキを投函した。それからポストの中を見てみると、JAPANと書かれたハガキが1通入っていた。

宛て先は、Hiroshima。
私はそれを持ち帰ることにした。


自分宛ではない手紙を見るのは、ドキドキする。いけないことをしているような気持ちになる。そこには本当の気持ちが書いてあって、その気持ちを盗み見るような気がして。

目を細め、読むでもなく眺めるようにその手紙を見た。

どうやらその手紙は、ドイツ人の女性が広島の語学学校で働いていた時、下宿先としてお世話になったおじさんとおばさんに宛てて書いたもののようだった。

そこにはシンプルな日本語で、感謝の気持ちがつづられていた。
何回ものアリガトウ。
ああ、彼女は広島で、その下宿先で、いい時間を過ごしたのだろうな。
そんな温かさがホカホカ伝わってくる手紙だった。

何より、こんな遠く離れた辺境のポストに、ガラパゴスからの手紙の宛先に、広島のおじさんとおばさんを選んだのだ。もうそれだけで、どれだけ大切に思っているのか、感謝の大きさがひしひしと伝わってきた。


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慣れない土地で感じた不安や苦労。そんな時にホストファミリーのふたりが、そっとやさしく手を差し伸べてくれたのだろう。

女性は、そのやさしさをしっかりと受けとめ、育んで、ふたりに再び感謝の気持ちを届けようとしている。

胸が熱くなった。勝手に。会ったことも話したこともない誰かの、リアルな人生のひとコマをその手紙で知ったから。

そして、その想いを私が運ぶという人生の不思議。

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その時、私はアメリカに住んでいたので数カ月ほど手元に預かって、日本に帰国した後、切手を貼って赤いポストに投函した。私のせいでまた、手紙をうろうろさせてしまった。

その1通の手紙が、どんな景色を見て広島までたどり着いたのか。

広島のおじさんとおばさんは知る余地もないだろうけど、その手紙が女性の気持ちを載せてたくさんの旅をして、再びその女性と、おじさんおばさんの心を繋げたかと思うと、何か言葉にできないスケールの大きさ、ロマンを感じてしまう。


***


手紙にもいろんなカタチがあると思うけど、こうしていろんな人の目にさらされながらも、力強くたどり着いた手紙は、想いもいっそう強くなるのかもしれない。

危うさ、はかなさ、脆さをはらみつつも、時間をかけて、漂流しながらその人の手元へと渡る。
手紙を受け取った時のあのうれしさは、書いてから届くまでのその時間のズレから生まれるものなのかもしれない。



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