見出し画像

教育の「不易」と「流行」を問う① ~「不易」の中身は?~


最近の問題意識です。

整理メインの記事ですので、それほど容量はないです^^;
(ぜひご意見いただければありがたいです)


1 教育の「不易」と「流行」が登場する場面

 

 時々目にしたり、耳にしたりする、教育の「不易」と「流行」

 どんな場面が考えられるでしょうか?

 例えば、最近でいえば、GIGAスクール構想で一人一台タブレットが導入され、「ICT機器は現在の流行だが、教科書を使った学習にも不易の学びがある」みたいな記事を見かけたことがあります。
 もしくは、「一人一人が調べ探究する、学びの個別最適化が流行してきているが、学級全体で討論する学習は、学校の不易である」というような文脈もあります。


 要は、学校現場において新しいとされるものが入ってきた際に、これまであったものとの対比で使用されることが多いです。

2 教育の「不易」と「流行」が述べられたのは?

 

 「不易」と「流行」という語句を使用した、中教審の答申があります。


 教育においては、どんなに社会が変化しようとも、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」(不易)がある。
 豊かな人間性、正義感や公正さを重んじる心、自らを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心、人権を尊重する心、自然を愛する心など、こうしたものを子供たちに培うことは、いつの時代、どこの国の教育においても大切にされなければならないことである。
 しかし、また、教育は、同時に社会の変化に無関心であってはならない。「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」(流行)に柔軟に対応していくこともまた、教育に課せられた課題である。
(1996.7.1中教審答申)※抜粋


 この中教審、いわゆる「ゆとり教育」に向かう時に出されたものです。

 ※ちなみに、文部科学省が「ゆとり教育」という表現をしたことは基本ありません。
 「ゆとりのある教育を展開し、基礎・基本の確実な定着と個性を生かす教育の充実」「各学校が創意工夫を生かした特色ある教育、特色ある学校づくり」(平成14年度実施の学習指導要領)等を踏まえ、マスコミ等が表現したのが「ゆとり教育」です。

 スミマセン、話が逸れました。

 今回は、「不易」に少し着目します。
 「不易」について、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」としています。
 
 つまり、いつ、いかなる時代においても「価値」のあるものが「不易」、ということです。

 

3 本当に「不易」?

 

 それでは、教育界にどれくらい「不易」はあるのでしょう?


「不易」っぽいけど「不易」でもないものも、結構ありそうです。


 例えば、「社会で生きる学力を付けさせることは不易」と表現されている学校だより等を見たことがあります。

 「社会で生きる学力」を付ける行為は不易かもしれません。学校の大きな役割の1つです。生きることにつながる力を伸ばすことが、教育の役割です。
 しかも、日本の学校の良いところは、必ず義務教育に触れる機会を設けているところです。
 ほとんどすべての地域において、住んでいるところから徒歩等で通学可能圏内に(そうでないところはバス等で通える範囲に)学校が設置されています。教育機会を確保する仕組みができています。その制度や質については当然議論や改善をしていくものですが、このベースは不易であってほしいものです。

 しかしながら、先ほどの話題に戻せば、社会が変化するものである以上、「社会で生きる学力」そのものが変化している可能性があります。
 (なので、文部科学省は学習指導要領の中身について「資質・能力」を柱とすることに舵を切ったのだと思います)

 そうすると、教育活動を行うこと自体は不易ですが、当然、社会の変化に伴い、教育活動は変化しているはずです

 …が、現実は、みなさんご承知の通りです。変わっている部分もありますが、おじいちゃんおばあちゃん世代から、現在教育を受けている世代までの共通の話題にできるくらい、あまり変わっていないものもあります。

 わかりやすいものとして、「教科」は不易でしょうか??

 例えば、10年ほど前の調査で、中学校の教員で約半数、高校の教員で7割以上が、教科指導がしたかったから教員になったと回答しています。
 自分が好きな教科について、子どもに指導したい、という教員は少なくないでしょう。


 しかし、改めて問うてみます。「教科」は不易でしょうか??

 例えば、自分は社会科を専門とはしていますが、現行の社会科の誕生は戦後で、まだ100年も経っていません。
 高等学校の科目も、数十年前に「社会科」から、「地理歴史科」と「公民科」に再編されています。

 学問的に見れば、それぞれ研究蓄積のある分野が背景にあり、内容は価値あるものです。が、それを学校教育に落とし込む教科の枠組みは、絶対的なものではないはずです。

 それぞれの教科の見方・考え方があるとされていますが、前提となっている教科の枠組みは変わりうるものです。

 これはごく一部の側面ではありますが、これだけでも、教科を絶対視し「不易」とすることに、いささかの危険性を感じるのは自分だけでしょうか。

4 終わりに

 

 いかがでしたか?

 おそらく、本来「不易」ではないものが、まるで「不易」のような顔をして存在し続けていることは、今日的な教育界の問題に大きくかかわっているように思います。

 大きなテーマなので、また折をみて整理し、アウトプットしていきたいと考えています。



 最後までお読みいただきありがとうございました^^


この記事が参加している募集

#学問への愛を語ろう

6,213件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?