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教科書の価値と、使いこなすということ~教科書を自動車に例えて考える~

「教科書めっちゃよくできている」

 教材研究をしていて、ふと思ったわけです。

 そんなことをきっかけに、教科書について考えたことを書き留めておきます。

1 教科書の価値に改めて気付く


 例えば小学校3年生の社会科の教科書。
 最初に学ぶ、子どもが自分が住んでいる地域や市区町村の様子を捉える単元を挙げてみます。

「教科書に載っているのは、子どもが住んでいるところ以外の地域なので、どう扱えばいいんですか?」

 
 と、聞かれることが多いです。

 実は、自分も以前は同じことを思っていました。

 当時は、職場の先輩方も、この単元で教科書を使っている様子はあまりなかったです。


 でも、教科書「で」学ぶとはよく言ったもので…
 
 実は、使えるのです。
 しかも、前向きな意味での「使える」なのです。

 どのようにかというと…
 地域が違っても、教科書と似たような方法や手順で、自分の住んでいる地域が調べられるのです。

 
 「調べる視点は…」
 「地図にまとめるには…」
 「どういうことが分かればいいのか…あ、書いてあった。こんな感じなのか」
 
 といった感じで、ことあるごとに教科書が使えます。

極めつけは、
「教科書で扱われている地域は〇〇な地域だけど、自分たちの住んでいる●●はどんなところだろう?」
 と、比較対象にできます。

 
 特徴は、比べることで浮き彫りになる…自分たちの地域だけ見ていても、特徴は分かりにくいですからね。

 ある程度、どのような地域でも使えるつくりになっている、小学校社会科の教科書
 
 
 それに気付いた時、「教科書めっちゃよくできている」と、その価値の高さを改めて感じました。


2 教科書は知見や実践知の結晶

 

 でも、それもそのはずで…

 これは、他教科でも同様なのですが、教科書は知見や実践知の結晶です。

 教科書の奥付けあたり(一番後ろのページのあたり)を見ると、執筆者がズラリと並んでいます。

 大学の研究者や教育行政関係者、附属学校の教員、現場管理職や教員など、その教科のスペシャリストたちが多いです。

そして、出版社の方々も、その道の専門家です。

各種研究発表会や学習会などに参加し、相当に勉強をされた方々です。

そしてそれらを教科書というカタチにするスキルをもった方々です。

そのような面々の知見や実践知の結晶が、教科書です。

 
 「理論だけ…」「机上の空論」などと言われることもしばしばですが、実はきちんと現場の教員が入っているため、子どもの実態からかけ離れることはあまりありません。

 というか、「理論」も、そもそも子どもの表れを基にデータを整理し、精緻化しているので、理論と実態は別物、という捉えは少々行き過ぎかなとも思います。

 もちろん、教科書やその指導例は、あくまで執筆やそれに関わった方々からの一例に過ぎないので、絶対ではありません。しかしながら、その精度は相当高いものであるといえます。

3 教科書を使いこなす…「教科書」は「自動車」みたいなもの?

 

 では、この教科書を使いこなして授業をする、というのは、どのような感覚なのでしょうか。

 そもそも、授業をするには教員免許状が必要です。

 免許状は、一般には禁止されている行為を、特定の場合、特定の人だけに許すことを示したものです。

 そのため、教員免許が存在するのは、教育がある種の危険性をはらんだ行為だからです。
 典型なのは、太平洋戦争中の「修身」でしょうか。場合によっては、洗脳に近いことも可能です。

 そんな免許状が必要な授業…同様に、免許状が必要なことといえば、自動車の運転が思い出されます。

 では、教科書を「自動車」と考えて、教科書を使いこなすことを、自動車の運転に例えてみます。



 基本的に、自動車(教科書)は検査(検定)に通っています。性能に問題はありません。

 乗る人間は、いずれも免許状を持っています。
 無免許でも乗れる人もいるかもしれませんが、事故を起こす可能性も高いでしょう。

 免許を持っていても、ペーパードライバーや初心者もいます。完全に乗りこなす(使いこなす)ことは、難しいかもしれません。

 熟練したドライバーは、乗りこなす(使いこなす)ことが多いです。

 検査(検定)に通っている自動車(教科書)は何種類もあり、それぞれに特徴があります。

 どんな道路をどのように走るか(どんな学級でどのように授業をするか)を、その自動車(教科書)に合わせて、扱えるかどうかも、ドライバー(授業者)によるでしょう。


 また、実態によって、自動車(教科書…教材)をカスタマイズ(様々な授業実践のワザを織り交ぜる)ことができます。

 ただ、そのカスタマイズも、そもそもの自動車(教科書)が、なぜそのようなつくりになっているのかを知らなければ、逆効果だったり、下手すると故障したりします。やみくもに、聞いてかじったようなワザを試すのは、こんな感じなのかもしれません。


 こうやって例えてみると、教科書も自動車と同じように、扱う人間の力量によって、発揮される価値が変わってくるのではないでしょうか。

 もちろん、教科書が完璧でないことも事実でしょう。これも、完璧な自動車が存在しないことと同じかもしれません。

 
 自分も、教科書を全て使いこなせているとは到底言えません。

 教科書の価値を高めるには、自分の力量を高めていく必要がある…そんなことを感じました。

 思いつくままの文章でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。


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