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父の死から得たもの

マイノリティ的思考法。

人は多かれ少なかれマイノリティの側面を持っていると思う。
身体的特徴や性的指向。ジェンダーや障害の有無、家庭環境、日本では多くないが民族や宗教。人には様々な背景がある。


僕は小学一年生の時に、父親を交通事故で亡くした。
朝起きたら父親が突然いなくなっていた。

今ではそれほど珍しくないかもしれないが、30年前の当時、父親がいない家庭はクラスで僕一人だった気がする。

周りでは普通にいるはずの父親が自分だけがいない環境。自分の意思とは無関係にマイノリティの立場になっていた。

しかし、だからといって決して不幸ではなかった。むしろ幸せだったと思う。

それは女手ひとつで育ててくれた、母親の想像すら出来ない苦労や頑張りのおかげなのは間違いない。

そして、さらに理由を加えるとしたら、僕自身が無理矢理にでも、人とは違う環境や状況をポジティブに変換してきたからかもしれない。それは残された者が、人生を前を向いて歩いていく為の、生存本能のようなものだったのだと思う。


当時は、父親がいないことは当然寂しかったし、なぜ自分だけこういう経験をしないといけないんだろう。もし父親が生きていたらどう人生が違っただろうか?などと何度も想像した。

一方で、時間が経つにつれ、こういう経験をしているのは珍しく、貴重なことなのかもと思うようになっていった。もちろん悲しく、辛い経験ではあるけれど、周りの人が出来ない、何か特別なことを経験できているのではないか。この経験が自分を強くしてくれているのではないかと。考えるようになっていた。


こうして僕は、周りと違うこと、マイノリティであること自体が希少で、価値のあることだと、肌身で感じながら成長していった。

結果、人と同じものは嫌だ。本当はそうでもないのに、わざとみんなとは反対の意見を言ってみる。そんな少しだけ天邪鬼な性格が完成した。


僕はマイノリティでありたかった。


「他人と違う」という必然

その思考法は現在の仕事にも繋がる。

僕は設計事務所を立ち上げ、建築家・デザイナーとして活動している。建築家に限らず、クリエイターと言われる人たちは多かれ少なれ、常に他者と比べられる立場にいる。

数多いる才能溢れるクリエイター達と比較され、何かしらで秀でたものだけが勝ち残る。敗者は下請けクリエイターとして細々と活動していく。クリエイターと言えば、自由で華やかなイメージもあるかもしれないが、なかなか非情で厳しい世界でもある。

でも、それは自由でクリエイティブに生きることと、引き換えなのかもしれない。


当たり前だがクリエイターは、みんなと同じことをしていては生き残れない。いかに異なり、価値を生むかが重要になる。

どういう作品のスタイルか?
新規性、革新性はなにか?
クリエイティブ範囲は?
デザインフィーは?


差別化は、作品性だけに限らない。作家タイプか、問題解決タイプか。特化型なのか、オールマイティー型か。クオリティー優先か、スピード優先か。個人ワーク向きか、チームワーク向きか。熱血体育会系派か冷静論理派か。など様々な要員がある。


クリエイターとして活躍している人は、これらを独自に組み合わせ、オリジナルのクリエイターレシピを作っている。どんな人にどんな風味のどんな料理をどんな価格でどんな感動を提供できるか。をデザインし、オリジナルの価値を生み出している。


クリエイターとして生き残るには、「他人と違う」ということは必然なのだ。


しかし、これはクリエイターに限った話ではない。どんな業種であれ、会社員であれ、同僚や同業他社と差別化をして、優位性を確保しなければいけない。ビジネスの世界においても基本の考え方だと思う。


より豊かな暮らしを求めて

暮らしに関しても、同じかもしれない。

都心近郊のマンションに住み、毎朝電車で通勤して、オフィスビルの中で1日過ごし、晩ご飯を適当に済ませ(または会食したりして)、終電近くに帰宅し、子供の寝顔を覗き込む。

よく聞く話だし、働き盛りの世代の大体の人はこんな感じだろう。実際僕も東京に住んでいた時は、子供こそいなかったが同じようなものだった。
もちろんその時はその時なりに幸せな生活をしていたが、特別暮らしに豊かさは感じていなかったのも事実だ。


みんなと同じような暮らし方・働き方は安心かもしれないが、やはり面白味はない。
新しい発見も独自性のある経験も生まない。


そして、僕は6年ほど前から東京ー浜松の二拠点生活を始めた。
より豊かな暮らしを求め、生活の拠点は浜松に置き、仕事の拠点は東京にし、都会と田舎を行き来している。

そのために会社を辞め、独立もした。今ではコロナによるリモートワークの広がりで可能かもしれないが、当時は会社員のままでは、このような二拠点生活のスタイルは成立できなかった。

周りには二拠点生活の経験者・実践者はいなかったし、踏み出すには少し不安もあった。家族の理解も必要だった。

周りからは移動大変そうだね。お金かかるでしょ?など色々と言われた。でも実際には全然大変ではなかったし、お金もたいして掛からなかった。むしろ快適で、新たな発見や経験も積み、暮らしは豊かになる一方だった。
(仕事的にはそれなりに苦労したがそれはまた別の話なので、よかったらこちらを。)
https://note.com/tsukasaokada/n/n82a07f6eacbf

やはりみんながやらないことには価値があった。SNSには載っていない経験があった。そして、それには特別な能力はまったく必要なかった。ちょっと勇気を出して、みんなと違う行動をしたら、その先は案外綺麗な芝生が広がっていた。周りには誰もいないから、失敗してもわからない。しれっともう一度やり直せばいい。何度でも。


変化が価値を生む

最後にちょっとしたアドバイスというか、おすすめの行動も伝えたいと思う。

マイノリティには簡単になれる。

移動すればいい。環境を変えればいい。
僕はごく一般的な日本人だが、ミラノに留学した時に、世界から集まる生徒の中で、生真面目で繊細な仕事ができる貴重な日本人に勝手になっていた。ただミラノに行っただけで。

田舎に移住したら、都会的な感性を持った建築家として扱われる。(実際は対して変わらないのに。。)ただ二拠点生活を始めただけで。

要するに、無理に自分の思考を変えなくてもいい。ただ環境を変化させれば、勝手に価値が生まれる。そして、常に変化を続け、新たな価値を生み続ければ、やがて本当に誰にも真似できないオリジナリティが生まれるのでは無いかと、僕は信じている。


建築 × アウトドア × ソーセージ

これが僕がデザインした、現在の自分のオリジナリティである。幸にも今のところ同じことをしている人には会ったことはない。そして、この組み合わせからどんな価値が生まれるのかは、僕自身もまだ分からない。だけど、何かしらの豊かさを生むことだけは間違いないだろう。

そしてこれからも、常に変化を続け、人とは違う独自のデザイン・価値観・暮らし方・働き方を模索していきたいと思う。



今後もnoteを書き続けていきたいと思いますので、良ければ「スキ」と「フォロー」をしてくれると励みになります!

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