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小説『走る。』 最終回

 十年後……。
おれとりこはフランスのパリにいた。

パスターパウロの知り合いの神父が、二人の評判を聞いて、それぞれの作品を見て気に入り、大聖堂に飾る絵を依頼してくれたのだ。
どうせなら夫婦二人の合作として描いてほしいということになり、二人でパリに来てもう二週間になる。

薄暗い中、ステンドグラスを透った太陽の光と静寂と共に作業を進める。
「その感じいいね。おれ好きやで」
絵は二人でキャンバスを半分に分けてそれぞれの絵を描くことにしていた。絵の内容の打ち合わせはせずに後でくっつけるのだ。
描きたいメッセージ、出したい雰囲気、色の組み合わせ、打ち合わせなしでやってみる。
一致できるという信頼感があった。

付き合って四年経った時、絵で生きていく決心をして会社を辞めた。
それと同時にりこにプロポーズをした。
りこは美大の卒業前だった。
りこの両親は、「りこと神様の決めたことなら」と、言って了解してくれた。
絵で生きることに関しても理解があったのは本当に助かった。
りこの卒業を待って式を挙げ、そこからは会社員時代の貯金と、絵画教室の仙人先生が仕事を紹介してくれたり、りこに仕事の依頼が来たりで、なんとかやってこられた。
仙人は、実はとてもすごい人で、彼の目にかなったというだけで仕事が入るほどだった。
絵で生きる決心をしたのも、仙人が背中を押してくれたことが大きい。
そうしてりこも自分も段々と安定して仕事をもらえるようになってきていた。

「ふふ。ありがとう。あなたのも好きよ」
「うん。ありがとう。
 それにしても不思議やなぁ。
 おれがこんなところでこんな仕事をしているなんて。
 君と出会ったころには思いもしなかった」
りこはクスッと笑って、
「そうねぇ。私も。
 今すごく幸せ。
 大好きな絵を仕事にして、大好きなあなたがいて」
りこは照れずにそういうことを言ってくれる。
だからこっちも素直になれる。
「おれもや。
 幸せだ。
 あのとき、あの絵画教室に導かれていったところから、人生が変わったんやなぁ。
 それがなければりことも出会えなかったもんなぁ」
「そうねぇ」
「そう考えると、すごい確率だよなぁ。
 たまたま同じ絵画教室で、たまたま帰り道の方向が同じで……」
するとりこは手を止めて、まっすぐにこっちの目を見た。
そして言った。
「待って。たまたま?
 違うよ。私はずっとあなたを探してたの。
 そしてあなたは私の近くに来るってわかってたよ?
 神様があなたを連れてきてくれるのを待ってたの。
 それがあなただって気づくのに時間はかかったけど……。
 あなただってわかってからは疑わなかったわ」

驚いた。結婚してからも、聞いたことがない話だった。りこは続ける。
「ほんとは自然に、時の流れに身を任せてあなたと付き合う日を迎えたかったし、それが理想だったんだけど、未熟だったの、ちょっと焦ってあなたを引き寄せようとしちゃった。
 あなたは紗良さんの方を見ていたし、私はずっと年下だったし。
 一度、すっごく仕事が忙しいときあったでしょう?
 あの時、あなたの状況は知らなかったけど、なんとなく不安になって、毎日教会に行って祈ってたの。特にどうなってほしいって言葉にしたわけじゃないけど、とにかくあなたを思って。そしたらある時、教会から出たら土手にあなたがのんきに寝転がっていて……、びっくりしちゃった。
 でもその時、なんか、すっごく安心したんだ。
 心が落ち着くっていうか、ストンって音がした気がして。
 そこからは焦らなかった。
 それで、あなたが気持ちを伝えてくれた時はうれしくって、泣きながら祈ったの。本当にうれしかった。
 あの時から今まで、本当に幸せだったよ。
 美大時代もその後も。辛いときには支えてくれて。
 楽しい時がたくさんあって。
 本当に、一緒に生きてくれてありがとう」
そういってりこは、また絵に向かい始めた。

その横でおれも描き進めようとするが、目から涙が溢れて止まらなかった。
泣きじゃくる声と鼻水をすする音の響く大聖堂で、
二人の絵は完成に向かっていった。


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これまでの話


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