見出し画像

小説『走る。』 3話

 一ヵ月が経ち、
早くも絵画教室が毎週の楽しみになっていた。

就職でこっちに来たから同期以外に仲のいい人はいないし、休日に予定もない。週に一度の楽しみとしてはちょうどよかった。

 絵はどんどんうまくなった。
家でも暇があれば描いた。
それでも周りの学生たちやプロと呼ばれる人たちには追い付ける気がしなかったが、仙人の教えは毎度目からウロコだった。
構図や光の扱い方、筆の流れなど、知るたびに納得で、一つずつ吸収した。
初めに比べると今の自分の絵は、自分で見ても上達していることがわかる。

 絵画教室に行きだしてから、仕事においても変化があった。
相手がなにを感じているか、考えているかが、前よりもわかるようになっていることに気付いた。
目や表情をよく見るようになったからだろうか。
観察が習慣になってきたのだ。
特に目だ。そんなにも目に人間性が現れるとは、絵を描きだすまでは知らなかった。

いろんなことがわかった。
営業部で一つ下の新人、麻衣ちゃんは人の話をあんまり聞かないとか、部長はその麻衣ちゃんのほうをちらちら見ているだとか、もみあげのあたりをポリポリと掻く癖があるとか。
相手がわかればわかるほど愛おしくなった。
以前までの自分はあまり人に興味がないと思っていた。
女性に対しても、自分が突っ込んでいくか、関係ないとして見るかだった。
だけど今は、紗良さんに対する想いとは違うが、自分と関わっている人には幸せになってほしいと思えるようになった。

 その日は月曜日だった。
会社には来たが眠くてあまり仕事がはかどらない朝。
休憩所に一服しに行く。
一服と言ってもタバコは吸わないし、コーヒーも飲めない。だからココアかコーンポタージュを飲んでゆったりする時間だ。

ぼーっと外を眺めていると同期の山本が近づいてきた。
山本は同期の中でも初めに仲良くなったやつで時々飲みに行く仲だ。
最近はあまり会えずにいたが、
「よう松田! 久しぶり! 元気?」
朝からはっきりした声を出す。
「おう」
適当に答える。
山本の前では自然体でいれる。
「最近どうよ。おれこの前めっちゃ可愛い子ナンパできてさ。今度合コンするんだよ。お前もどうよ?」
山本は湘南育ち。そう、チャラい。
おれはにやけながら、
「いや、おれはいいわ。おれも最近めっちゃいい人と出会ってな。いまその人好きやねん」
「マジか。どんな人よ」
「絵画教室の人でな。つり目で年上で、しぐさの美しい優しい人や。いまおれその絵画教室通っとる」
「ダハハハハ! めっちゃ面白いな相変わらず!
 その人追っかけて絵画教室入ったんだ!
 そんでべた褒めじゃん。恥ずかしいとかないのか?
 そういうまっすぐなとこ、おれ好きだわぁ」
「なんだよ。めっちゃ笑うやん」
「いやいや、違うよ。いいなぁと思ってさ。
 で、その人はいけそうなの?」
「いや、いけそうとか言うなよ。
 毎週、ご飯に誘おうとは思ってるけどなかなかできんくてさ」
「毎週会えるんだ!
 いいじゃんか。応援するわ。
 良い店紹介してほしかったら言えよ。
 場所によっては良いとこあるから。
 まずは買い物に付き合ってもらうとかもいいよ。
 お、もう行かねぇと。
 じゃあ、また。
 あんまり前のめりにいきすぎると失敗するから気をつけろよ」
「お、おう。ありがとう。また連絡するわ」

最後の言葉を言う山本の目が、なぜか少し寂しそうだった。遊びまわって日々充実してるように見えるあの山本に、なにか寂しいことがあるのか?
それにしても、買い物に付き合ってもらうか。
さすが山本。良い案だ。
そうだ! 画材を買いに行くのを付き合ってもらおう。これならいい言葉が出そうだ。よし。

 そして土曜日になった。
いつものように絵画教室に行き、席に着く。
この日、ウォーミングアップのみんなで描くものはなんか趣きのある陶器だった。
三十分経ち個々の作品を描く時間に移る。
陶器を描くのは好きだなと思った。
ただ雰囲気みたいなものが絵からは感じられなかった。

ふぅっと一息ついて目を上げると紗良さんと目が合って幸せな気持ちになる。
「ねぇ、ちょっとどいてくれない?」
ビクッ。隣に座っていたショートカットの女の子が不機嫌そうに言ってきた。
気が強そうな子だ。怖い。絶対年下なはずなのに。
「あ、すいません」
そう言って、椅子を動かして体の向きを変えると仙人先生が座っていた。
「どうも、古澤です」
そういってまっすぐな目でこっちを見てきた。
大真面目な顔で言うから少し笑ってしまった。

「今日は私を描いてください。
 だいぶ静物画は上達したので人物画に移りましょう」
いままでは、鷲のはく製とかコップとか止まっているものを描いていたのだ。
それはそれで楽しかったが、次のステップだ。
人を描けるというのは中々うれしい。

 目から描きだそう。

 そしてその目が一向に進まない……。
見たものをそのまま描いているだけなのに全然違う。
とても不思議だった。
あまりにも進まないので鼻と輪郭、それから頭と耳、そして口を描いていった。
これまで、写真を書き写したり、石膏像の写生をしたこともあった。
その上達のかいもあって、それらはすらすらと描けた。

そして一時間半が経ち、残るは目のみとなった。
正確には目から眉毛までの範囲だ。
描いている間、仙人は堂々とこっちを見て座っている。
慣れているのだろうか、ぜんぜん動かない。

よく考えると、こっちはただがむしゃらに描いていたけど、この先生をここに座らせておくことはすごく贅沢なことだ。
絵が本当に好きなんだなぁ。
そのとき、これまでの仙人の言動がスルスルと思い出されてきた。
すると、目の前の仙人の見え方が少し変わった。
はっきりと変わったわけではないがなんとなく、纏う空気が変わった気がした。
その勢いで目を描いた。荒い線で描き上げたと同時に、
「はい、終了~!」
と、仙人がニコッと笑って、言った。
そして立ち上がり、教室の他の人たちのところを見て回りに行った。

 ふーっと肩の力が抜けた。
どっと疲れた気がする。
毎度のことながら二時間近くぶっ続けで描くのは本当に疲れる。
普段も集中はしているが、今回は生きている人、しかも仙人を、しかも一対一で描いてたために、良い意味で緊張感があり、集中を切らすことができなかったのだろう。余計に疲れた。
いつもの集中とは一段深い集中だった。なんだかうれしい。

仙人が一周して帰ってきた。
「どれどれ。
 おぉ、いいじゃないですか。よく描けてる!
 どこが難しかったですか?」
「目が難しかったです。
 ちゃんと描き写しているはずなのに全体を見てみると全然違うんです」
そういうと仙人はニコニコしている。
「良いですね。あなたはすごく、良く見て、良く感じる人だ。
 基礎もしっかりできてきている。これなら、次にいってもいいな。
 次は動いている、そうだなぁ、猫とかいいね。
 猫を描いてみよう。
 うちで飼っている猫を連れてくるからそれが次の課題ね。
 動いているものを描くのは難しいよぉ」
難しい課題の話を楽しそうにする仙人。
何点かアドバイスをしてくれた後、去り際にポツリと、
「まあ止まっていても実は動いているんだけどね」
と、意味深な言葉を残していった。
意味は分からなかったけど妙に頭に残った。


ーーーーーーーーーーーーーー
他の話はこちら!

1話:https://note.com/tsuka_joji/n/n5583b0044819
2話:https://note.com/tsuka_joji/n/n3de35a7b0edb
3話:https://note.com/tsuka_joji/n/n75a490bf8ad4
4話:https://note.com/tsuka_joji/n/n25725ac0238f
5話:https://note.com/tsuka_joji/n/n53c6f824679f
6話:https://note.com/tsuka_joji/n/nbfdc271dcb5a
7話:https://note.com/tsuka_joji/n/nbf661788a443
8話:https://note.com/tsuka_joji/n/n26779c4f714b
9話:https://note.com/tsuka_joji/n/na878ee652ff5
最終話:https://note.com/tsuka_joji/n/n24cb28548056

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?