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自由になること。半分失敗すること。

最近なんとなく、ちょっと人生が変わりそうな感覚がある。「自由になれそう」に近い。

何から自由になれるのか。

こうしなきゃ、とか、こうしちゃだめとか、そう思っていることにも気づかないくらい当たり前にあった感覚から、抜け出しても生きていけるのかもしれない。大丈夫なのかもしれない。
そんな予感がしている感じ。

「怖いこと」がたくさんある。

予想して、うまくいかなそうだなと思って、やってみたいのにやらないこと。
やった方がいい気がしたり、やらなきゃいけないと思ったりして、やりたくないのにやり続けてしまうこと。

なんとなく「微妙」なことになったらいやだなあと思って、会いたいのに会わない人。
会うのが普通だと思って、会いたくないのに会おうとする人。

怖いからそのままにしている、手放したいこと、踏み出したいこと。
日々のなかにたくさんある。

でも。
なんとなく、そういう手放すとか踏み出すとか、心が求めることを自由にやってみれる気がする。
やってみたいから、そう言い聞かせているだけなのかもしれないけど、それならそれでいい。

怖いけど、どのくらい怖いかこの際想像してみる。

そうしたらたいてい、起こってもなんとかなりそう。
嫌われて傷つくとか、誰かに悪く評価されそうとか。
泣いたり恥ずかしくなったりはしそうだし、やらなきゃよかったなあと思うこともあるかもしれない。

でもひとつひとつがうまくいくかどうかじゃなくて、もうちょっと総合的に見てみて、「大丈夫」だったらいいと思った。
何もしない、プラスマイナスゼロの状態よりはプラス。何か失ったように感じても、「自分の人生」を手に入れられたらいいんじゃないか。



こんなとき、よく思い出す言葉がある。

フジテレビの『セブンルール』という番組に出演していた廣津留 真理(ひろつる まり)さん(ディリーゴ英語教室の代表。娘のすみれさんは塾に行かずにハーバード大学を首席で卒業。バイオリニスト。)という方が言った言葉。

「とりあえず手を挙げる。それが『Just Do It.』『これやる人』って聞かれた時に『ハイ』って言うのが『Just Do It.』で。その先にどんなゴールがあって、どんな失敗があるか、わからないですよ。半分失敗するけど、失敗も糧にできるから。」

この言葉を聞いたとき、衝撃だった。
半分失敗するの?と。

半分失敗する=半分は失敗する可能性があってもいい、なら、私がやろうかどうか迷うこと、ためらうこと、ほとんどやって大丈夫じゃん…!と思ったのだ。
私は100%に近い確率でうまくいくかどうか、というところにハードルがあって、うまくいかない可能性が少しでもあると、そこに目が行ってしまっていた。


たとえ本当に、ぴったり半分失敗して、半分成功したとしても。

その結果は引き分けじゃなくて、成功だと思う。
失敗も糧になる、というのもそうだし、得たものと失ったものの数が同じでも、重みは得たものの方が多そうだなというか。

なんて思われるかちょっと不安だけど言いたいことは言ってみる。
面白くないかもしれないけど気になる本は読んでみる。
すごくいい時間になるかはわからないけど会いたい人には会ってみる。

このnoteだってそう。こんなに自由に書いたのは初めてで、こんなに整理しないで書いたらただの公開日記になっちゃうかな、もっと何かを明確にしないと良くないのかな、不安もいくらでもある。

でも、楽しい。
好きなnoteクリエイターさんたちや吉本ばななさんのnoteを読んで、書きたいと思った。書きたいように書いてみたいと思った。(その方たちはもっと考えて書いているのかもしれないけど)私がその人たちの文章から読み取った、「綺麗にとか正確にじゃなくて、もっと言葉にしたいという心に従って書く」ということを、私もやりたかった。
やってみたら、すごく楽しい。

Just Do It.
積み重ねていたら、怖さから自由になれるだろうか。
思っていた通りではないかもしれないけどきっと、自由にはなれる。
思っていたのとは違うなにかになるということも、自由になるってことかもしれない。

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