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心で感じたことぜんぶ、「役に立つか」に関係なく大切だって言いたい。

「noteをやってます」と、人に言えなかった理由がわかった。

感性という、明確にスキルとして「誰かの役に立つ」わけではないものを大切にしていると言うことに、うしろめたさがあったから。

これが大切ですと堂々と言うためには、それが誰かのためになってなきゃいけなくて、売れっ子バンドとか、映画監督とか、そういう人じゃない私が自分の感じることを大切にしていて、それを書くことを好きだなんて、そんなことを言ったらいけないと思っていた。

でもそれはよく見てみたらただの自己防衛で。本当に情けないけど、

「あなたが感じたことがなんの役に立つの?」

って、そう思われることに耐えられないから。自分が傷つくのがいやだから。言えなかったんだと思う。


でも。
私は、「生きている」ということの幸せは、心でなにかを感じることだと、ずっとずっと信じていた。信じたかった。

人が自分自身の心で、心から生きられることが大切で、それは私自身が一番やりたいことで。


書くこともそのためにやりたいことだった。
なんのために書くのかって、何かを知ってほしいとか何かをできるようになってほしいとかじゃなくて、ただただ心が動くこと、私にとって心で何かを感じることが一番大切だから、書きたいだけだった。


と、言いたかったことを言い切ることができた今、ひとつ気づけたことがある。

先週から、書くことを学ぶあるオンライン講座を受け始めたのだけど、

「あなたが伝えたいことは誰かが読みたいものか。」

この言葉を目にするたびに、自分が伝えたいことを伝えるなんて価値がないんだろうかと考えてしまって、苦しかった。

誰かの役に立たないと、自分の心を表現するなんて意味がないのか、とばかり考えて、その怖さから受け入れられなかったんだと思う。

でも、誰かの心が求めているものを届けること

それは本当はすごくやりたいことのはずなのだ。

誰かの心が求めているものを届けることができたら、その人の心が動く。
そんなことができたら、きっとすごく幸せで、
誰かの心が動いたら、自分の心もきっとまた動く。

私の心が伝えたいことを伝えること
誰かの心が求めているものを届けること

どっちもやりたい。
そのための練習なら、苦しくても惜しまずにやる。


思えばこれまで、人が心から生きることが大切だと思っていたわりに、誰かの心のために本気で努力してきたかと言われたら、自信をもってうなづくことはできない気がする。

だけど、今、人が心で何かを感じることがぜったいに大切だって、わたしがただ毎日感じていることだって大切だって、信じたかったことを思いきり言える今なら、「誰かのため」にも本気で努力できる。



その歌を聴いて、その本を読んで、その映画を観て、その人に会って、

何がどうなったの?って、そんなことは聞かないでほしい。
それが何に役立つかなんて、なくてもいい。

人の心は、そこにあるだけで価値がある。

すべての人が、ひとりひとつの違う心をもっていて、いろんな気持ちを絶え間なく抱えて生きていること。

ひとりひとりが自分の心で生きること。

誰かの心と繋がりながら生きること。

ただそれを大切にしていたい。
その大切さを疑わないで、不安になんてならないで、ずっと大切にしていたい。

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