見出し画像

感情のコントロールを手放したら、心の自由と幸せがあった。

特別嫌なことや困ったことが起こったわけじゃなくても、うっすらと満たされない気持ちを抱いてしまうことはある。

そしてそんな時の自分を一番苦しめていたのは、

自分の心がなにを感じるかは、自分次第。
ネガティブな感情は自分次第で解消できるはずだし、幸せも自分次第で感じるものだ。

という信条だった。

全然ネガティブな意味じゃないと思う。

だって、「物事をどう見て、なにを感じるかは自分次第」とか「幸せは自分で気がつくもの」とか、普通によく聞く言葉で、それは幸せになるためにある言葉であって。自分を苦しめているなんて思いもしなかった。

だけど。

なにを感じるかは自分が決めている=感情をつかさどっているのは自分だ、という思い込みは、私に「幸せではないこと」、「満たされないネガティブな気持ちでいること」を許さなかった。

欠けた気持ちに気がついたときにはすでに、修正や改善が始まっている。

どうして私はいまこう感じてるんだろう?
「より良い」心にしていくためにはどうしたらいいんだろう?

でも思ったのだ。

感情は、コントロールするものじゃない。

自分でさえも、今この瞬間に自分の心がなにを感じるか、決めることはできない。

満たされないとき、幸せでないとき、その気持ちも、その気持ちを抱いている自分も否定しなくていいのだ。

そんなふうに思う自分が悪い。どうしたらこの気持ちをなくして、明るく幸せな気持ちになれるのかって、焦らなくていい。

今ここにある感情は、そのままただ感じる。受けとめる。

それでいいし、それしかできないものなんじゃないか。

そう思って初めて、すごくすごく、心が自由になって、いつもほんのり、一番根っこの部分で安心していられるような気がする。

ネガティブな感情が湧かなくなったわけではなくて、どんな気持ちも、どんな心で生きている自分も否定しないということ。

さらに驚きだったのは、それが「幸せを諦めること」ではないということ。

幸せを目指して「なにをするか」までは、思いきり自分自身の意思で決めていけばいい。

あれがしたい、ここに行きたい。

叶えられるだけ叶えたらいい。

ただ、その先、そこでなにを感じるかだけは、常にその瞬間の自分の心にかかっていて、もうそれはどんなものであっても受け入れる。コントロールはできない。

それが、わたしが最近手に入れたような気がしている、心の自由。

幸せでありたい日々のなかでも、なりたい自分があっても、いつだって心は、絶対的に自由でいていい。

満たされないときがあっても、「こんなふうに思いたい」とかけ離れてしまっても、そんな自分のままで、生きていく。

どんな感情が湧いていても、じぶんの心で生きていること。

それこそが、幸せだなあと思う。



この記事が参加している募集

読んでくださり、本当にありがとうございます🌷 スキやコメントでつながってくださったら、さらにとっても嬉しいです! サポートをいただいた場合は、心を動かす体験に代えて、文章を書きます。