感情のコントロールを手放したら、心の自由と幸せがあった。
特別嫌なことや困ったことが起こったわけじゃなくても、うっすらと満たされない気持ちを抱いてしまうことはある。
そしてそんな時の自分を一番苦しめていたのは、
自分の心がなにを感じるかは、自分次第。
ネガティブな感情は自分次第で解消できるはずだし、幸せも自分次第で感じるものだ。
という信条だった。
全然ネガティブな意味じゃないと思う。
だって、「物事をどう見て、なにを感じるかは自分次第」とか「幸せは自分で気がつくもの」とか、普通によく聞く言葉で、それは幸せになるためにある言葉であって。自分を苦しめているなんて思いもしなかった。
*
だけど。
なにを感じるかは自分が決めている=感情をつかさどっているのは自分だ、という思い込みは、私に「幸せではないこと」、「満たされないネガティブな気持ちでいること」を許さなかった。
欠けた気持ちに気がついたときにはすでに、修正や改善が始まっている。
どうして私はいまこう感じてるんだろう?
「より良い」心にしていくためにはどうしたらいいんだろう?
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でも思ったのだ。
感情は、コントロールするものじゃない。
自分でさえも、今この瞬間に自分の心がなにを感じるか、決めることはできない。
満たされないとき、幸せでないとき、その気持ちも、その気持ちを抱いている自分も否定しなくていいのだ。
そんなふうに思う自分が悪い。どうしたらこの気持ちをなくして、明るく幸せな気持ちになれるのかって、焦らなくていい。
今ここにある感情は、そのままただ感じる。受けとめる。
それでいいし、それしかできないものなんじゃないか。
*
そう思って初めて、すごくすごく、心が自由になって、いつもほんのり、一番根っこの部分で安心していられるような気がする。
ネガティブな感情が湧かなくなったわけではなくて、どんな気持ちも、どんな心で生きている自分も否定しないということ。
さらに驚きだったのは、それが「幸せを諦めること」ではないということ。
幸せを目指して「なにをするか」までは、思いきり自分自身の意思で決めていけばいい。
あれがしたい、ここに行きたい。
叶えられるだけ叶えたらいい。
ただ、その先、そこでなにを感じるかだけは、常にその瞬間の自分の心にかかっていて、もうそれはどんなものであっても受け入れる。コントロールはできない。
それが、わたしが最近手に入れたような気がしている、心の自由。
幸せでありたい日々のなかでも、なりたい自分があっても、いつだって心は、絶対的に自由でいていい。
満たされないときがあっても、「こんなふうに思いたい」とかけ離れてしまっても、そんな自分のままで、生きていく。
どんな感情が湧いていても、じぶんの心で生きていること。
それこそが、幸せだなあと思う。
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