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世界から見た自分を知ると、「自分」はもっと自由になる。

春の匂いがする朝。
春っぽいとか冬っぽいとか、実際はなにがそう感じさせてるんでしょうか。
わたしの場合は、空がぼんやりくすんでいると、ああ今日は春っぽいなあと思ったりします。構成してる色の種類は昨日までと同じなんだけど、きっぱり度が違って、境目があいまいで、全体的にミルキーな感じがすると、今日は春だ!と思うのです。
でも実際はきっと、土の中や空気中の水分量とか、どこから風が吹くかとかどんな植物が息してるかとか、そういう自分には見えていない世界のあらゆる変化から来てるのでしょう。

「自分の目では見えない世界があって、そこにわたしは生きている」ということを想像するのが、最近のマイブームです。

世界の中での自分、相手にとっての自分という存在がどんなものか、本当のサイズ感、存在感がわかると、自由になりやすいなと感じたから。

たとえば、わたしは仕事でお客さんに当たる方たちと面談をすることが多いのですが、ちょっと大事な局面だったりすると緊張したり事前にあれこれ脳内シミュレーションをすることがある。
そんなときにふと、「相手にとってのわたしってどんな存在なんだろう」と考えるようになったのです。

そうすると、わかってくる。じぶんが与える本当の影響、相手からどう見えて、何は届いて何は届かないのか。
たとえば自分が塾のスタッフと面談してたとき、スマホの機種変更でケータイショップに行った時。相手は一生懸命にお仕事として、緊張したりあれこれ考えたりしながらやってくれたのかもしれない。
でも、相手がどんなシナリオを持ってやってこようと、わたしはわたしなのでした。
ほしい携帯も受けたい大学も、わたしのなかにあった。その人に何かを変えられたり決められたりしたわけじゃなかった。朝起きて、調子が良かったり悪かったりしながら、出かけて、その人に会った。ずっと続けてきた自分の人生のあるとても小さな一部に現れた人だった。
それをどのくらいの大きさで捉えるかは、相性のによることもあれば、自分の感受性によることもあるだろうけど。
どちらにしろ、わたしはわたしで、店員さんも先生も、わたしの人生の小さな一部に登場するあるひとりの存在だった。

そうだきっと、不安になったりあれこれ悩んだりするのは、自分の思った通りに人や世界を動かそうとしているときなんだ。
だけど本当は、全員、みんなが、その人の目でその目に映る人や出来事を見て、その人の頭で、その人の心で、その人の世界を生きてる。

それがわかったら、もうみんな同じ「1」として、全員違う世界を、ちょっとずつずれながら共有してるんだとわかって、そしたら怖いとかこうじゃなきゃとかそういうのってなくていいんだなと思った。

「職場」でこう思われるとか、これをしたらああなっちゃうとか、いろいろ予想して期待して恐れて、不安になるけど、わたしに見える「職場」はわたしの中にしか存在しない世界なんだ。
わたしはその人たちにとっての「職場」であり、"新人のなつきさん"だ。
鈴木さんは鈴木さんの人生を生きて、佐藤さんは佐藤さんの人生を生きて、鈴木さんは鈴木さんの心配事、佐藤さんは佐藤さんの願望を抱えて生きている。
駅で楽しそうな誰かさんも、電車で隣のなんかやだなって思っちゃう誰かさんも、みんなその人の人生を生きてるところ。

ああそうか〜とわかったら。
その小さなわたしのやるべきことは自分以外の人や「結果」を思い通りに動かすことではなくて。やりたいことをして、できることをして、人のそれもできるだけは受け入れる。生きるってそれだけ!
仕事としてならとりあえずは、わたしがいろんな店員さん、先生にしてもらってありがたかったみたいに、できるだけの知識や誠実さで、その人のいのちが望むあり方を応援することくらい。

I am I. You are you.

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