「思い描いた未来」はやってこないからこそ。
大好きな友だちと、オンラインで3時間以上おしゃべりした。夜はまた違うオンライン(こちらはちょっと頑張るもの)があるから、それに備えてお風呂に入った。
お風呂から上がると、夕方6時半前。
夕日に染まった空がほんとうにきれいだったから、部屋のエアコンを切ってカーテンを空けてみた。
風がびゅんと通って、夕方の光、空の色、蝉の声、大好きな、夏の夕方の空気ぜんぶが部屋じゅうを満たす。
あ~しあわせだな。
一瞬で、心からそんな気持ちが湧いてくる。
お風呂に入っているときから、友だちとのおしゃべりを思い出して、今日こそ久々にnoteを書こうと思っていたから、
こんな夕方の空気に包まれて、思い切りじぶんの心に触れて、世界に触れて、言葉を紡げるなんて最高だなと思った。
そうしたら自然と、「そうだこれから、毎日夕方のこのくらいの時間にnoteを書くといいかもしれないな」と思っていた。
それは、幸せなことはできるだけ毎日、同じように起こってほしいからでもあるし、
たしかに今日noteを書きたいという気持ちはあるけどうまく書けるかわからないし、書くことで苦しむことだってある。つまり今日、「完璧なしあわせ」を得られるかわからないから、明日に可能性を残しておきたいということでもあった。
でも、決めたとおりに未来を生きることはできない。
これは最近、何度も何度も、感じ続けていること。
実際、どんなに素敵な未来を思い描いても、そのとおりになることは本当に少なかった。
夜寝る前の1時間、スマホの電源を切って自分の心と向き合う時間にしたらすごく落ち着いて満たされたから、これから毎日そうしようと思った。
その素晴らしさを知っているのに、どうでもいいネットの情報を見続けてしまう日も多かった。
学校の図書室で就活準備をしたらすごくはかどったからまた行こうと思った。なのにコロナがどんどん増えて、不要なリスクは避けよう、家でやればいいやと思うようになった。
明日を今日と同じように生きることって、ほんとうにできないのだ。
それ自体は、良いことでも悪いことでもないけれど。
明日のほうがより素晴らしくできるから、と思って、明日に可能性を残してしまうのは、危ないな、と思う。
自分の気持ちだって変わるし、一緒にいる人も、世の中も天気も、同じではいてくれない。嫌なことに終わりがくるかわりに、いいことも変わる。
同じように見えて、なにもかも変わり続けている。
だからといって焦ったり生き急いだりするのは違うし、いつでも全力で生きなければいけないと思っているわけではないんだけど。
決めたとおり、描いたとおりに生きることはできないからこそ、今日の心も今日の景色も、いまこの瞬間で味わい尽くす。
そんな覚悟を、いつもさりげなく、持っておきたいなと思う。
これを書いているあいだに、さっきの夕日の光は消えて、部屋は薄暗くなったけど、
さっきあの瞬間、この文章を書き始めてよかった。
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