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ひとりぼっちも寂しくなくなった…ことがちょっと寂しい。

十五歳くらいまで、「河川敷」を東京の地名だと思っていた。
テレビ等で「河川敷」という言葉が出てくると、あぁ東京の…となぜか当然のように納得して、調べることもしなかった。

(全然関係ないけど、阿武隈高地のことは“あぶくまコーチ”という、プロ野球コーチの愛称かなにかだと思っていた。中日あたりの…。)

今日は近所の河川敷で、花見に合わせて出店している屋台を物色しながら、一人で散歩をした。

家族や友達グループでバーベキューをする人たち、屋台の前で楽しそうに会話するカップル、犬の散歩ついでに花見をする人…。
牛串を頬張りながら周囲の楽しそうな声を聞いていると、大人になって良かったなぁとしみじみした。

十代の頃、知らない人の笑い声は、自分の寂しさを強調する背景音でしかなかった。
夜の街を一人で徘徊しながら、「みんな楽しそうでいいよね」と、妬み嫉みが入り混じったドス黒い感情を育てていた。

でも今日は、他の日はどうだか知らないけど、とりあえず今日は。
「みんな楽しそうでいいよね。本当に、本当に、いいよね」と、なにかに感謝したいような気持ちになった。

牛串が旨くて、桜が咲いてて、全然好きな曲じゃなくても音楽が聞こえてきて、なんかめっちゃみんな楽しそうで(心の内はわからないけどさ)。

一人ぼっちで歩いていても、幸せな誰かの背景にまぎれることで、一人ではない気がした。

河川敷や阿武隈高地の意味も覚えたし、一人ぼっちも寂しくなくなった。
でも、そのことがちょっとだけ寂しい。

わたしのなかに存在した、河川敷という東京の地名を、“あぶくまコーチ”という野球コーチを、一人ぼっちの身を切るようなヒリヒリを。

実在感をもって感じることはもうできなくても、まだまだ忘れたくはないな。
そんなことを思いながら、誰かの笑い声のなかを、てくてくと歩いたのだった。

お読み頂き、ありがとうございました。 読んでくれる方がいるだけで、めっちゃ嬉しいです!