なんでこんなことが起こるんだろう?
おはこんばんにちは。しむしむ。@simtoshiです。
僕は2年と半年くらいうつ病でした。治ったと思っているけど、もしかしたら、今も。
うつ病の時、3か月くらいに1回くらいしか髪を切らなかった。前は1か月に1回は切っていたのに。だから、髪が伸びて伸びて、我慢の限界になったら行きつけの美容院に行ってました。
担当の人には大学受験の時から切ってもらってたから、約9年間の付き合いで。わりと何でも話せて居心地が良かった。
でもある時から居心地が悪くなっていきました。
どんなに苦しいかはわからないけど…
いつものように髪を切ってもらってスッキリして、店を出ました。
「ピコン」
ラインの通知音が響きました。その美容師さんから。普段は予約以外は連絡を取らないから、なんだろうと思いました。
少しだけ心がざわっとしました。予期していないことは心がざわつく。
恐る恐るラインを開くと、そこには長文で僕を勇気づける言葉が並んでいました。もう見ることはできないけど、確かこんな感じで。
シムシムくんがどんなに苦しいかはわからないけど、過去を後悔するよりも前に進もう!後悔してても仕方ないから。
細かい文章は覚えていません。とにかく僕を勇気づける言葉が並んでいました。
それを見て僕は「何もわかっていないこの人」と思いました。そのラインを見て本当に苦しくなって、また何日も動けなくなりました。
でもわかってくれる人だと思っていたので、僕はラインを返しました。確かこんな感じで。
ありがとうございます。不器用な○○さんぽいラインで嬉しかったです。僕は周りから見れば、ほふく前進のようなスピードかもしれませんが、考えて前に進んでいます。見守っていただければ。
僕は短期間に2度うつで退職しています。だから、「繰り返したくないからしっかり休もう」と思って休んでいました。
それに後悔などしていませんでした。わりとその辺はポジティブなので、自分で決めたことに対する後悔はしません。周りから見たら、くすぶっているように見えても、単純に回復したと思えなかったから、動いていないだけで。
半年くらい休んでも、毎朝起き上がることも、外に出ることも、お風呂に入ることも、髪を切ることも億劫なのに、どうやったら回復したと思えるのか。
結局、そのラインに返事はありませんでしたが、また数か月後にその人に髪を切ってもらいに美容院に行きました。
なんでこんなに伝わらないんだ。
「ほふく前進じゃだめだよ。」
お店に入ってすぐに言われました。身体中から汗がぶわ~っと出て、汗が止まらなくなりました。明らかに狼狽しているのに、その人は続けます。
「もう2年くらいでしょ?」「もうそろ前に進まないと」
なんでこんなに伝わらないんだ。なんでこんなに前に進めようとするんだ?
わかる。それは僕が前に進んでいるように見えないから。それはわかるけど、前に進みたくても進めない人の気持ちは聞こうとしないのだろう?
髪を切ってもらっている間、「なんでこんなに伝わらないんだ?」って思い続けた。何度も「もういいです、お会計してください。」と言いそうになった。
帰り際、「シムシムくんが社会復帰したら、本当に嬉しいんだ。今日はずっと勇気付けようと思って出社したんだ。」と言われた。
なんだよ。それ。真逆のことしてんじゃん。
リラックスしたい、スッキリしたい、気持ちを切り替えたい、楽しいと感じたい。そう思って行った美容院は、全く居心地の悪いものだった。
結局僕は、その人をブロックした。
ケアとセラピーの違い
うつ病中の出来事を書きましたが、僕はその人の恨みを書きたいわけではありません。
むしろずっと引っかかっていて。なんでこんなことが起こるんだろう?と考え続けていました。
僕はその人のことが好きでした。不器用なりに勇気付けてくれていることもわかっていました。9年間以上の付き合いですから。
でも拒否反応がでちゃったんです。その人に会うと体調が悪くなるんです。
なんでこんなことが起こるんだろう?
しかも、担当の人はうつ病になったことがあると仰っていて、僕の気持ちを少しはわかってくれるはず。
なんでこんなことが起こるんだろう?
きっと日本中で、世界中でこんなことが起きているんだと思います。元々仲良くても、少しのすれ違いと言うのか。なんていうのか。
うつ病から回復した今でも少しだけこれはモヤモヤしてしまっていた。
簡単に言うと、ケアは、傷つけないこと。セラピーは、傷つきと向き合うことです。
モヤモヤが晴れないなぁと思ったつい先日、この文章に出逢った。これは僕が愛読している soar の記事から抜粋したものだ。
単純だけど、僕はこの言葉を見てすっかり納得してしまった。
正直言うと、セラピーがどんなものか、ケアがどんなものか、詳しくはわからない。でも
「ケアが必要な状態のときに、セラピーを受けてしまったんだ。」と思った。
すごく納得した。と同時に涙が出てきた。
なぜなら、僕の家族や親友、周りの人達はずっとケアをしてくれていたから。
何も言わず助けてくれた
soar の記事で、心理学者の東畑さんはケアとセラピーの違いを具体的に説明してくれている。
「ひとりでいると寂しい」という人と一緒にいることは、それ自体がケアになるでしょう。………(中略)………そもそも、「寂しい」と感じるのはどうしてなのか。それと向き合うことがセラピーなのです。
問題があって、その問題に含まれているニーズを満たして行くのがケア、そのニーズに向き合って軌道修正していくのがセラピーです。
美容師の人は、「なぜ前に進めないのか。」をずっと問いかけてくれていたんだと思います。
でもその時の僕には、そんなことを考える余裕もないし、考えたくもなかった。自分のことを何も言われたくなかったし、自分のことを話すことも嫌だった。
なんでもないニュースや、最近起きた面白い話でもいいから、聞き役でいたかった。
自分がどういう状況なのかわかってはいるけど、軌道修正する力などなかった。
そういった事情を知ってか知らずか、僕の家族や親友達は何も言わずただそこにいてくれた。いつものように何も変わらず。
うつ病であるということは伝えていたけど、心配したそぶりを見せず、そこにいてくれた。
「いつもならくだらないライン送ってくるのに、来ないから心配したぞ!」と言ってラインをくれたり、ご飯に連れて行ったりしてくれた。
そこには僕がうつ病になる前と変わらないと思える日常があった。
とはいえ、親友と遊んでもやっぱり疲れてしまって、次の日とかは寝込んでしまうのだけど、暗い気持ちが芽生えることはなかった。
これは自慢なのだけど
僕の親友達は優しい奴が多い。ドライに見える人も多いけど、友達想いのいいやつばかり。
だから、きっと自分事のように心配してくれていた人もいたと思う。それでも彼らはいつもと変わらない風景を僕に見せてくれた。
それがどれだけ嬉しいことか、心を落ち着かせることか。
優しさとは
美容師さんのことを思い出すと、あの人なりの優しさだったと思っています。
僕のことを思ってくれているからこそ、わざわざラインを送ってくれ、前向きな言葉を送ってくれたのだと思います。
でもこの優しさというのは、言い方は悪いけど、その人のためにならないこともあるとこの件で実感しました。
その人のためと思っていても、偏った見方でその人を判断して、偏った優しさを与えることもある。
下記も記事の文章です。
たとえば、夫婦間でどちらかが苦しい状態にいるとき、あるいは傷ついているとき、いつもより考えて、情報を集めて、相手が必要としていることをやることがケアなのだと思います。
うつ病や精神的な病を抱えている人が近くにいる人に伝えたいのだけど、
うつ病で悩む人たちは、きっと特別なことは求めていない。少なからず僕は、そっとしておいて欲しかった。だからこそ、日常の中でのちょっとした優しさがケアの土台になる。
適応障害と診断された鈴木さんもこのように言っています。
症状が一番ひどかった時期、自宅の台所で余ったごはんを炊飯器からタッパーに移していたときに涙がポロポロとこぼれてきて。そのとき妻は何も言わずに洗い物を続けてくれました。特に会話は交わさなかったけど、あの時間はすごくありがたかったなと今になって思うんです。
もしこのとき「大丈夫?」と言って奥さんが寄り添っていたら、どうなっていたのか。きっとありがたかったと思います。
でも、もしかしたら「こんなことで涙がでるなんて…」と感じたかもしれません。
対応に正解などありません。後になってみないと正解はわからないかもしれません。だからこそ、周りの人は難しいと思います。
ただ、「私は、僕は今おかしくないんだ」と、「異物ではない」と思わせてくれることが回復につながるのではないかと思うんです。
自立とは、依存先を複数持つこと
うつ病から回復したよと伝えたとき、僕の親友達は喜んでくれました。
中には、「嬉しい。泣きそうだ。」と言って、初めて親友が涙目になっているのを見ました。
どんだけ鈍感かと思いますが、その時初めて、「こんなに心配してくれていたんだ。」と思いました。よく考えれば、心配してくれていると感じる出来事はたくさんあったけど、僕のことをはれ物として扱わなかったし、過度な心配をしなかったので、そこまで思っていませんでした。
でも彼はものすごく心配してくれていたんですよね。
人生で一番嬉しかったかもしれない。今まで自分を守るためにがっちりと固めた心の鎧がポロポロとはがれていくのを感じました。
それから少し経って、僕はnoteを書き始めました。
初めて書いたnoteをFacebookでシェアしました。でも彼は、いいね!も反応もしません。
彼にはどうしても見てほしかったから、ラインで送りました。そしたら既に見てくれていたんですよね。そして、「おっさんになっても一緒にいたいと思う」と言ってくれたんです。
万人に通用するかはわからないけど、これがケアなんじゃないかって今思うんです。
目の前で起きていることに、過度にリアクションしないこと。求められたら手を差し伸べる準備をすること。
彼はそのすべてを僕にやってくれていた。本当にありがとう。
何度も記事を載せて申し訳ないけど…この記事の最後のほうに、医師で東京大学准教授の熊谷晋一郎さんの言葉が載っています。
「自立とは、依存先を複数持つこと」
僕はうつ病になってから、家族や親友、職場、周りの人にたくさん迷惑をかけました。だから「早く自立しなきゃ」って思っていた。
自立したいけど、自立できないというジレンマから抜け出せず、自分の部屋すら居心地の悪いものとなっていたんです。
どこにいても自立するための行動を求められているような気がしたんです。
でもnoteを書いて自己開示したことによって、たくさん連絡をもらって、依存先を複数持っていたことに気づきました。
まさしく、自己開示がケアの連鎖を起こしました。
今までは、家族と親友だったけど母と父、兄、姉、親友A、B、C……のようにカテゴリーで分けた依存先ではなく、それぞれが個別の依存先となりました。
「自立とは、依存先を複数持つこと」
この言葉はきっと多くの人を救う言葉であると感じます。
いや~回復してから、悲しい涙流さなくなったなぁ。しんみり。note見て連絡くれたみんなありがとう!マジで泣きました。
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