見出し画像

Torey Hayden (1989) 'Just Another Kid'/トリイ・ヘイデン 『愛されない子』

虐待には2種類ある。ひとつめは見える虐待。ゲットー出身のラッパーが幼少期に経験した壮絶な貧困、親からの暴力を過激なリリックで吐き出すことにより虐待のトラウマをマッチョに昇華しカタルシスを得る、というのがわかりやすい例なんじゃないだろうか。見える虐待は社会的に問題視されやすく、被虐待者はその苦しみの素直な告白により社会的な同情や援助を得やすい。何故ならば血を流してる子どもや餓死しそうな子を目の前にすると誰だって救助しようとするべきだ、っていう社会通念があるからだ。

もうひとつの虐待は、目に見えない虐待。そしてこちらの虐待を経験した子どもは、虐待そのものによる苦しみに加えて、社会的な援助を得るのが困難であるがゆえにトラウマを昇華しづらいという二重の苦しみを味わう。物質的には恵まれてても、凄惨に心を殺される子どもたちは山ほどいる。家庭という治外法権の密室空間で性的に搾取される子ども、不安定な精神状態の親のもとで育てられて自己肯定感が無くすぐに希死念慮を抱く子、等々。彼らの傷は目に見えないし、自分で自分の傷を癒す術を積極的に見つけない限り苦しみからは解放されない。さらに皮肉な現実は、心に傷を負ったまま大人になれば、無自覚のうちにトラウマの感情を再現するような現実を再生産してしまうということ。

『愛されない子』の筆者、トリイは重度の情緒障害をもつ子どもたちの特別支援学級の教師である。前者と後者の虐待を日常で経験してきた子どもたちを教えながら、トリイはある生徒の母親とコンタクトを取るようになる。彼女の名前はラドブルック。スーパーモデルのような容姿と美貌をもちながら物理学の博士号を得た研究者で夫は金持ち。社会的にも金銭的にもなんの不自由もない裕福な暮らしをしている。しかし世の人々が羨むぐらいパーフェクトな人生を送っているように見える彼女と関係を築くにつれて、トリイは彼女が実は深い希死念慮に取り憑かれた高機能アルコール依存症者だとわかってくるのだ。

ラドブルックは目に見えない虐待のサバイバーだった。次々と交際相手を変える母親に言葉による虐待を受けながら育った彼女は、物理学の分野で類い稀なる才能を発揮しながらも心の中ではいつも孤独で一人ぼっちだった。到底受け入れられない自己を24時間生きなければならない苦痛を紛らわせるためにアルコールを過剰に摂取し、寂しさを紛らわすために不特定多数の男性と関係を持つ。酒とセックスの刹那的な麻薬が切れれば、たちまち抑うつ的で醜い現実に突き落とされる。自分のことを愛してくれなかった母と同じように、言葉による暴力をひっきりなしに浴びせてくる夫との暮らしに心の平穏は訪れることはなく、気がつけば子どもの頃のボロボロに傷ついた自分のようにお風呂の中で独りで絶望しながら泣いているのだ。

見えない虐待から勇敢に逃げて逃げて膨大な努力をして新しい自分を創る人は多い。しかしまた、ラドブルックにようにパーフェクトな「新しい自分」が実は遠い昔の虐待のトラウマの感情を再生産してしまうものだと気づいて絶望してしまう人だって多いのだ。忌み嫌って逃げてきたはずの悪夢の中に、気がついたらどっぷり浸かってしまっているなんて、なんていう皮肉。そんなとき、どうしたらいい?虐待された子どもたちと一緒に生きてるトリイなら答えを知ってる。どんな醜い自分だって無条件で受け入れればいいことを。それが到底無理なら、少しづつその練習をすればいいことを。奈落の底に何度突き落とされたって、傷ついた子どもの自分と正しく邂逅することを諦めなければ、虐待のトラウマからはいつかきっと解放される。本当は膨大な努力で「新しい自分」を築き上げる必要なんてなくて、傷ついた子どもの自分の涙を拭って胸の中で抱きしめてあげればいいだけ。誰にも愛されなかった傷ついた子どもを大人の自分が愛してあげればいいだけの話。

世界的なHIPHOPの流行にのって、過激な言葉で過去のトラウマを昇華するカタルシスを得るのもいい。でも、そんなに普遍的で安易な言葉では複雑すぎる幼少期の心の傷を癒せないサバイバーも世の中には沢山いて、彼/彼女たちが生きる苦しみを表現すればたちまち世間は「メンヘラ」という嘲笑的な揶揄や根性のないアル中などと批判をするのが常である。男根主義のマッチョな世の中では見えない虐待を癒す環境もリテラシーも整っていないのが現状である。そんな社会だからこそ、大事なのは「子ども達」をケアする母性。実際に成長過程の「子ども」だけでなく、私たち大人の中の心に眠ってる昔の傷ついた「子ども」も全て含めた彼/彼女たちの声に真摯に耳を傾ける姿勢があれば、きっともっと楽に呼吸ができる世界になるんじゃないだろうか。

生きることが億劫になってる自分に気づいたら、誰にも干渉されない静かな場所に行って自分の中の「子ども」を慰めてあげればいい。もしも抱えてるトラウマが深すぎてそれを独りでするのが難しいなら、多種多様のカウンセラーやセラピーがいくらでもその手助けをしてくれるはず。社会的に容認される「新しい自分」を追求する空虚さに疲れちゃったら、少し立ち止まって休めばいいの。大丈夫、あなたは変でもないし、弱くもない。誰よりも勇敢で強いサバイバーなだけ。そんな時、トリイ・ヘイデンのノンフィクションが大人のあなたと子どものあなたに生きるためのヒントをくれるのかもしれない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?