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ターフと右翼の欠落している点

ターフ→男女は違い、男には男の女には女の特性が存在し、男には男の幸福があり、女には女の幸福がある。それ以外の性別は存在しない。

ターフは女性性にフォーカスを当てすぎており、権力勾配の意味がわかっていない。社会構造ゆえに女性が抵抗運動の主になりやすいが、それは女性性なのが要ではない。女性の性被害には敏感だが、男性や同性愛者の迫害には鈍感なのがその証拠である。

右翼→男女は違い、男には男の女には女の役割が存在し、男には男の責務があり、女には女の責務がある。それ以外の性別は存在しない。

右翼は民族性(=単一)や性別(=単一)にフォーカスを当てすぎており、ナショナリズム(=多元的)の意味がわかっていない。

ターフは内在化した女性像(=ラノベ女神)を崇拝する痛さがあり右翼は外在化した女性像(=ラノベ母親)を崇拝する痛さがある。観点は微妙に違うが脳内がサブカルお花畑という点では同じである。

noteでもターフや右翼の書いた記事はそれっぽい記号的な香ばしい匂いがする。ライターの思考はどんなに努めても隠すことはできない。ターフと右翼は微妙に違う事を主張しているが、基本的には差別主義者である。しかも差別主義者という自覚はない。

むしろ常識かのように差別をまき散らすのがターフと右翼である。

ターフは自分をフェミニストだと自認しているケースが多いし右翼は自分を愛国者や保守主義者だと自認しているケースが多い。しかし実際はフェミニズムでも愛国でも保守でも何でもない。ただの害悪な存在だ。

多様性は大事だが、ターフと右翼を多様性に包摂する必要はない。ターフや右翼ほど「多様性が大事だー。」と云ってくるであろう。連中には罵詈雑言を浴びせるぐらいがちょうどいい。

¡No pasarán!


哲学で祝われました(2023.12.25(月))

学習教材(数百円)に使います。