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日本のフェミニストがフェミニストではない理由

括弧つきのフェミニストたちは女性(=セクシャル・ジェンダー)にfocusをあてすぎており肝心の権力勾配の問題にfocusがあたっていない。

要は現状の権力勾配の調整や変革のためにフェミニズムがあるのであって括弧つきのフェミニストたちの性的な奔放さや業界で活躍する話などどうでもいいのだ。そんなものをフェミニズムの文脈に持ってきても仕方がないのである。

むしろそういうものは従来の女ミソジニーに箔をつけるだけで逆効果なのだ。髪の毛黄色にして、英語ペラペラ話して業界で活躍することのどこがフェミニズムなのだろうか?ただ痛いだけの女ミソジニーである。

そんなことをやっているからサブカルフェミはただの権威リベラルなのである。そしてその権威リベラルはすぐに大政翼賛会の協力者になるのだ。なぜならサブカルフェミは構造的にフェミニストではないからだ。

たとえば「Me too運動」一つとってもこれが単に「女性が性被害にあった」から行う運動なのではなく権力勾配と立場濫用によって多くの事件が発生してきた事への反発運動だという事だ。これが真意である。

だからポイントは「女性が性被害にあった」からでは弱すぎるのだ。「男性が被害にあった」「外国人が被害にあった」でも同様に反発運動をしなければそれはフェミニズムとして全く機能しないということなのだ。

「性被害ガー」とか言っておきながら「ジャニーズ」タレントを応援するのは同義矛盾であり「女性活躍ガー」と言っておきながら「自称トランスジェンダー」を攻撃するのは社会破壊も甚だしい。

「Me too運動」を行う活動家は「ブラックライブズマター運動」も行い「反イスラエル運動」も行う。

これはすべて首尾一貫していることだ。別に女性が可哀そうだからとか、黒人が可哀そうだからとかパレスチナが可哀そうだからしているわけではないのだ。

権力勾配への反発運動なのだ。それだけだ。女ミソジニー、名誉白人である黒人、イスラエルリクードに靡いたアラブ人であれば同様に反発されることになる。

そういうことがよくわからない自称フェミニズムなんて何の役にも立たない。上野千鶴子や田嶋陽子が戦ってきたのは男性ではなく女性も含めた女ミソジニーなのである。

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