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愛着障害の省察

愛着があるというのは、距離感が遠くても会えば通常のやりとりをできるという事がある。なぜなら信頼関係が構築されているからだ。

しかし愛着障がい者は、いつも距離感が近くて特別な関係を築ける他者を探し続ける事に東奔西走する。なぜなら愛着障がい者にとってはそれが愛だからだ。

しかしこれ自体が出会い系じゃないかと考える。マッチングアプリとでも云っておこう。という事は出会い系というのはそういう人々の巣窟になっている場所だと考えるのが自然である。

という事は愛着障がい者とマッチングしやすいという事だ。しかし愛着障がい者と常人の思考や話がかみ合うことはないだろう。愛着障がい者の感じる「冷たさ」とは常人にとってはオアシスである。

愛着障がい者にとっての愛とはドメスティックなセクト関係の事だが常人にとっての愛とは協同や協調関係の事だからである。

どういう人々が推し活のコア層なのかを考えてみればいい。すべてではないとしてもボリュームゾーンはこの愛着障がい者の群れである。そしてこれを大衆と呼んでも差支えはないだろう。

愛着障がい者が集まりやすいプラットフォームというのはだいたい決まっているし、そういうプラットフォームでは通常のプラットフォーム以上にトラブルが発生しやすいのは偶然ではないであろう。

愛着障がい者がDV被害に遭いやすく、新興宗教やブラック企業の餌食になりやすく事件や事故に遭いやすいのは偶然ではない。

愛着障がい者がパワハラやモラハラの加害者となり、教育虐待の担い手となりネットで誹謗中傷をする加害者となるのは偶然ではない。

愛着障がい者は心の奥底では支配を望んでおり、支配に服従しながら権威主義者となる。さしずめそれが愛着の欠落だ。

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