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めざせローガイマスター

「全ての道はローマに通ず」という格言があるが全ての道はローガイに通じている。

結局老害とは何なのかといえば、自分がやってきた経験が未来永劫通用するという幻想、その幻想を原理化して他人に押し付ける事である。すなわち有為転変する社会構造を無視した自己経験の絶対視である。

端的にいえば学業、仕事、恋愛、結婚、育児、介護といったプランニング化しやすいものを「やってきた」自負心が老害の背景にある。

確かにこれらの体験は一筋縄ではいかず大変なものである。しかしこれらを通過したから偉いというエピソードが老害を形成する。「自分は老害じゃないぞ」と否認するおじさんやおばさんほど老害である。

右翼が「これは日本の伝統だ」というのは決して日本の伝統ではなく老害の保身でしかない。老害は自分の保身を隠すために日本という言葉を濫用する。

ここに賭博、お酒、たばこ、風俗、旅行、ゴルフ、スキー、競馬、パチンコ、麻雀、スポーツ観戦といった昭和的文化も通じている。すなわち老害は自分がやってきた事を他人に強要したくて仕方がなくなるのだ。

そのやってきた事を顕示するために他人を支配して強要したくなるのだ。これが老害の始まりである。自分が動く通りに他人は動かないという世の真理を掴めない人は低能である。

親でこれを強行すれば虐待となり、会社や宗教でやればハラスメントとなる。賢い人ならば1度指摘されれば改善できるが、老害はバカなので永久に繰り返す。老害の自己正当病は謙遜さや無知の知の欠落と云えよう。

それが政治の体をしているかもしれない。宗教の体をしているかもしれない。経営の体をしているかもしれない。マルチの体をしているかもしれない。科学の体をしているかもしれない。

どんなに理屈をつけても「自分が絶対的に正しい」「自分が今までやってきた経験は正しい」これが老害の真実だ。

「社会人というのは〇〇だ」「日本人ならば〇〇だ」と云いやすいのも老害の特徴だ。

確かに年配になればなるほど思考が鈍化してくるので老害率は年齢の高さと比例する。しかしソフト老害は10代でも20代でも30代でも40代でも該当する。管理職にでもなってくればある程度の権限を任されるので悪質度は増していく。

自分の人生の最適解を偉そうに語りだしたらローガイマスターだ。

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