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【歴史19】エジプト史備忘録47(イスラエル建国・第1次中東戦争・ムスリム同胞団・自由将校団)

エジプト史の学習内容を深めていきます。

①第2次世界大戦後にイスラエルが建国された。19世紀のヨーロッパでユダヤ人の一派がオスマン帝国の支配下にあったパレスチナの地にユダヤ人国家をつくる運動を始めた。

これがシオニズム運動である。

②金融業者ロスチャイルド一族をはじめとするユダヤ人はイギリスに協力した。イギリスはユダヤ人がパレスチナに新国家を建設する事を支持していてユダヤ人はパレスチナへ移住していった。

③第2次世界大戦を起こしたドイツのナチス政権はユダヤ人を迫害していた。戦時中は多くのユダヤ人が連合国に協力した。

連合国を中心に設立された国際連合は1947年11月にユダヤ人国家建設を承認した。

④ただしこれは国連の中心であったイギリス、フランス、アメリカ、ソ連などの大国の方針を反映しておりパレスチナに住んでいたアラブ人の意向は無視された。1948年5月14日にユダヤ人国家イスラエルの建国が宣言された。

⑤エジプト国民はアラブ人として反発した。ファルーク1世は
イスラエルと戦う事を決めた。第2次世界大戦後に独立した

⑥シリア共和国、トランスヨルダン王国、レバノン共和国、イラク王国といったアラブ諸国はエジプトに呼応した。

5月15日にイスラエルを攻めた。第1次中東戦争(パレスチナ戦争)が始まった。

⑦開戦直後にエジプトを中心としたアラブ諸国は優勢であったがイスラエル軍には第2次世界大戦中に連合国軍に参加した軍人が多かった。アメリカやイギリスから大量の兵器を提供され盛り返した。

⑧エジプトは紅海に面するシナイ半島を一時的にイスラエル軍に占領された。1949年2月に国連の調停によってエジプトはイスラエルと休戦協定を結んだ。他のアラブ諸国はこれに続いた。

⑨アラブ系パレスチナ人は住んでいた土地を追われて難民となった。その数は約70万人と云われる。以降にアラブ系パレスチナ人をサポートするアラブ諸国とイスラエルとの間の対立が続く事になった。

⑩エジプトが第1次中東戦争に敗れた理由には王室、政府、軍の腐敗があった。ファルーク1世が協力していたアラブ諸国と主導権を争ったので連携が取れなかった。国王に親しい業者は質の悪い兵器を軍におさめていた。

⑪ファルーク1世は多数の愛人を抱えるなど私生活が乱れていた。そして敗戦により権威失墜した。

イギリスはソ連が強大化している事を理由にスエズ運河一帯に大軍をとどめており内政にも口を出していた。

⑫こうした国王やイギリス、ワフド党への失望から新たな勢力が支持されるようになった。1928年にはムスリム同胞団が結成された。イスラーム教の復興と公正社会の実現、外国勢力の排除を唱えて支持者は数十万人にまで及んだ。

⑬組織内には武装集団がいたのでエジプト政府はムスリム同胞団の拡大を阻止するために1949年にリーダーのバンナーを倒した。しかし組織は消滅せず一部のメンバーは過激な反政府運動を続けた。

⑭軍内部ではイギリス支配と国王専制に抵抗する若手たちが自由将校団を結成した。

中心となったガマール・アブドゥル・ナセルは1938年に士官学校を卒業して入隊しており第1次中東戦争では最前線で戦った。

⑮ナセルは軍内で同士を増やしていった。反エジプト政府のムスリム同胞団や共産主義組織と連携してクーデターの機会を伺っていた。

■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社

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