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雨乞いのてるてる坊主【てるてるmemo #1】

 てるてる坊主は、いい天気になるようにと願って吊るされるのが普通です。でも、ときには天気が悪くなるよう願って吊るされることもあったようです。民俗学の文献資料のなかから、わたしの管見の及んだ事例を2つ紹介します。

【雨乞いの例①】 「肢をたたいたりして神社で拝んだり、てるてるぼうずを梅の木に掛けたりする」

 これは、南島民俗研究会が発行していた雑誌『南島民俗』に掲載されている事例です。南島民俗研究会の拠点は、種子島(鹿児島県)の北部にある西之表市。
 昭和45年(1970)発行の『南島民俗』15号で、民俗学者・下野敏見(1929-2022)が「種子島の俗信・ターキ・手養生」と題して、種子島に伝えられていた風習を数多く紹介しています(のちに『種子島の民俗Ⅱ』〈法政大学出版局、1990年〉に所収。363頁)。
 その「雨乞い」の項のなかで、一例として上記の事例が紹介されています。種子島の中部に位置する、原之里(熊毛郡中種子町)における事例です。
 なぜ雨乞いに限っては、てるてる坊主をウメの木に掛けるのでしょうか、その理由は謎です。ウメの実とてるてる坊主の関係をめぐっては、かつて検討したことがあります(★詳しくは文末の「「照つけ坊」に似た「梅法師」【てるてる坊主の呼び名をめぐって#5】」参照)。

【雨乞いの例②】 「西日本の各地では、日和坊主の語がある。山口県萩市で、日和乞のために白い坊主を、雨乞のために黒い坊主の人形を軒に吊した」

 これは、国立民族学博物館(現在の人間文化研究機構国立民族学博物館)が発行していた雑誌『民博通信』に掲載されている事例です(42頁)。昭和55年(1980)発行の『民博通信』11号に収められた、民俗学者・宮田登(1936-2000)の「てるてる坊主と日和見」で紹介されています(のちに『日和見―日本王権論の試み―』〈平凡社、1992年〉に所収。240頁)。
 普通は白い材料で作られることの多いてるてる坊主ですが、通常とは逆に天気が悪くなるよう願うときには、黒い材料で作られることがあったようです。宮田はこの事例を山口県在住の民俗学者から聞いたそうです(★詳しくは文末の「西日本では「日和坊主」というのは本当か【てるてる坊主の呼び名をめぐって#6】」参照)。
 また、この宮田による報告例とたいへんよく似た事例が、『綜合日本民俗語彙』(平凡社)に掲載されています。
 『綜合日本民俗語彙』は民俗学研究所が編集した辞書で、昭和30年から31年(1955-56)にかけて平凡社から発行されました。生活のなかで使われてきた言葉が、当時のものから明治時代(1868-1912)前期ごろのものまで遡りつつ、日本列島各地から集められています。
 その第3巻「ヒヨリボウズ」の項(1336頁)に、次のような説明が見られます。

日和坊主。山口県萩市附近で、日和乞のために軒に吊す径六、七寸の白いぼて玉をいう。雨乞には黒いのを吊すという……(以下略)

 「ぼて玉」とは何か、はっきりとはわかりませんが、張りぼての玉のようなものでしょうか。そうした単なる球状だとすると、普段わたしたちが思い描くてるてる坊主とは、やや異なる形をしています。『綜合日本民俗語彙』に記載されたこの「日和坊主」については、それをてるてる坊主と捉えてよいものかどうか、戸惑います。

 雨を願う際、種子島で見られたという、てるてる坊主をウメの木に吊るす事例。あるいは、萩で見られたという、「黒い坊主の人形」を軒に吊るすという事例。
 これらの事例に関連して、何かお心当たりのあるかたがいらっしゃいましたら、どんな小さなことでもけっこうですので、情報をお寄せいただけますと幸いです。

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