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なぜ「ふれふれ坊主」はないのか【てるてる坊主考note#30】


はじめに

 あしたの行事を楽しみに、子どもたちが晴天を願っててるてる坊主を吊るす――なんだかとても絵になる光景です。でも、場合によっては、面倒な行事が雨で中止になるよう願いたいときもあるでしょう。
 そんなときは、どうしたらいいのでしょう。晴天祈願のてるてる坊主を、わざと逆向きに吊るすのも1つの方法でしょうか。てるてる坊主とは逆の願いを込めた雨天祈願の、いわば「ふれふれ坊主」です。
 雨天を願うため、晴天祈願と逆のやりかたを用いるのは、まじないの発想としては理にかなっている気がします。ただし、そうした「ふれふれ坊主」は風習としては定着していません。
 晴天を祈願するてるてる坊主と雨天を祈願する「ふれふれ坊主」は、対になる風習として両立していてもいいはずなのに、そうはなっていません。てるてる坊主はあるのに、なぜ「ふれふれ坊主」はないのか、考えてみると不思議です。
 こうした問題の背後には、わたしたちが普段の暮らしのなかで何気なくもっている、天気に対する意識(天気観)が潜んでいるようです。

1、天気の好し悪し

 言うまでもなく、天気は本来、切れ目なく推移していくもの。わたしたちは常々、それを人為的に区切って把握しようとしています。
 人為的に区切ろうと試みた1つの例が「気象庁天気種類表」で、天気を15種類に区分して命名しています。区分の基準となっているのは空全体に占める雲の量、あるいは、降水の有無などです(★表1参照)。

 15区分のうち、わたしたちが普段の暮らしのなかで意識することが多いのは、「晴」「曇」「雨(雪)」あたりでしょう。
 ここで興味深いのが、わたしたちが天気を表現する際、しばしばプラス/マイナスの価値判断を伴っている点。たとえば、空が晴れていれば好天とか「天気がいい」、雨もようならば悪天候とか「天気が悪い」などと表現します。すなわち、「晴=プラス/雨=マイナス」という図式です(★表2参照)。

 「あいにくの天気」といえば、すなわち雨だとわかるのも、後者の「雨=マイナス」という図式に基づく感覚です。こうした共通認識があるがゆえに、挨拶に続く無難な話題として、会話のなかで天気の話題が択ばれることが多いのでしょう[高橋2003]。
 「晴=プラス/雨=マイナス」という図式が如実に反映してくるのが、晴れ女・晴れ男とか雨女・雨男という分けかた。どうしても、晴れ女・晴れ男はポジティブで、雨女・雨男はネガティブというイメージがつきまといます。そして、外出のお供には、やはり晴れ女・晴れ男を択びたくなります。
 むろん、雨にプラスの意味をもたせて、「恵みの雨」とか「よいお湿りで」などと表現されることもあります。ただし、それは晴天続きで雨が望まれるような、限られた状況下でのこと。本稿では、そうした特殊な文脈ではなく、あくまでも一般的な文脈に沿って考えてみたいと思います。

2、天気の推移の基盤としての晴

 こんにち、「天気」という語には大きく分けて2つの使いかたが見られます。1つは空もよう全般を指す場合。前掲した「気象庁天気種類表」に列挙されているような、さまざまな状況が含まれます。もう1つは「晴」だけを指す場合。その一例として、てるてる坊主を吊るす際の「あした天気にしておくれ」というフレーズが思い浮かびます。
 「天気」と「晴」の位置づけが、前者では「天気>晴」、後者では「天気=晴」であり、併せると「天気≧晴」という関係が浮かび上がります。こうした関係の背後には、天気の推移の基盤に「晴」を位置づける感覚が窺えます。そうした例をほかにも身近なところから3つ挙げてみます。
 1つめは、履き物を飛ばしての天気占い。「あした天気になあれ」と言いながら、片足を振り上げて靴を飛ばします。かつては下駄や草履を飛ばしたようです。
 言うまでもなく、判断の基準となるのは飛んでいった履き物が落ちた向き。表が出たら「晴」、裏返ったら「雨」と判断します。靴や下駄を飛ばす場合には、ときどき表や裏ではなく横を向くこともあり、そんなときは「曇」と判断したでしょうか。
 すなわち、履き物の向きが通常どおりであれば「晴」、対して、通常と異なれば「雨」または「曇」という判断です。そこには、あくまでも「晴」を通常とみなす感覚が働いているといえるでしょう。
 2つめは、天気が変わる際の表現。晴から雨へと変わっていく場合には「天気が崩れる」と言い、反対に、雨から晴へと変わっていく場合には「天気が回復する」と言います。やはり、「晴」が天気の推移の基盤という位置づけです。「天気が崩れる」ことは「下り坂」とも表現されます。そこには、「晴=プラス」から「雨=マイナス」へと転じていくようなニュアンスも感じられます。
 3つめは、人が何か珍しいことをすると雨が降るという言い回し。やはり、「雨」が「晴」と比べて珍しいという現実の感覚がまずあって、それをもとに人の行動を揶揄しているといえるでしょう。
 天気の推移の基盤に「晴」を位置づける感覚。それは見かたを変えれば、「晴=通常/雨=異常」という図式で表すことができそうです(★表3参照)。

 ところで、「天気」は英語で「weather」。日本語の「天気」が「晴」を基盤としているのに対して、英語の「weather」が含む意味はまったく対照的です。英和辞典で「weather」の項を引くと、第一の意味は「天気」「天候」「気象」。そして興味深いことに、第二の意味として「悪天候」「嵐」「風雨」などが挙げられています。
 同じように空もようを意味する語でありながら、日本語の「天気」は晴天だけを指すこともあり、いっぽう、英語の「weather」は悪天候の嵐や風雨だけを指すこともある、というのはとても興味深い対照です。

3、秩序を乱す雨乞い

 ここまで本稿では「晴=プラス/雨=マイナス」という図式、および、「晴=通常/雨=異常」という図式を確認してきました。次に目を向けたいのが天気のコントロールを図る儀礼。すなわち、日照り続きの際におこなう雨乞いや、その反対に風雨を避けようとする天気祭り(雨風祭り)です。どちらも、自然な天気の推移に対して人為的に介入を試みる行事です。
 まずは雨乞いをめぐって。日本列島各地には実にさまざまな雨乞いの方法が伝えられてきました。『日本民俗事典』で「雨乞い」の項を引いてみましょう。執筆担当者は民俗学者の宮田登(1936-2000)。宮田によると、雨乞いの方法は大まかに5つの型に分けられるようです[大塚民俗学会1972:14-15頁]。

①、山上で火を焚く型
②、唄や踊りで神意を慰め雨乞いをする型
③、水神のすむ聖池を汚して、神を怒らせ、雨をふらせようとする型
④、神社に籠り降雨を祈る型
⑤、聖池から水を貰ってくる型

 山上で火を焚いたり(①)、神前でお籠もりをしたり唄ったり踊ったり(④②)といった方法は、雨乞いだけでなく、風雨を避ける天気祭り(雨風祭り)や晴天を願う日乞いにも見られる、共通したかたちです。雨乞いだけに見られる特徴的な方法は③と⑤。
 このうち後者(⑤)は、水を撒くことで降雨を招こうとする試みです。人類学者のジェイムズ・フレーザー(1854-1941)が言うところの類感呪術(模倣呪術)、すなわち、似たものは似たものを生じるという発想に基づいています。
 本稿で注目したいのは前者(③)の、神聖なものに対する禁忌を犯して神仏を怒らせるという方法。宮田によれば、「たとえば水源である池に、汚物をわざと捨てたりする。汚物は牛馬の心臓とか馬の頭蓋骨だったりする。寺の吊鐘を滝壺へ投げ込む所もある」そうです[大塚民俗学会1972:15頁]。
 わたしが暮らす秦野(神奈川県)でも、同様の風習がいくつか伝えられてきました。以下に挙げるのはそのなかの1つ、滝壺に棲む竜神を怒らせる事例です[『秦野市史』1987:401頁]。

堀西の西方、森戸集落の地に雨乞岳と呼ばれる五四メートルほどの山がある。干天が続くと、堀西、堀山下、堀川の三集落では、法印を先頭に鉦、太鼓を打ち鳴らしながら雨乞岳へ登ったといわれている……(中略)……その付近には黒竜の滝というものがありそこで村人は「六根清浄」を唱えながら、この滝の滝壺へ木の小枝を投げ込むのだという。こうすると、竜神が怒って雨を降らしてくれるといわれていた。大正末年から昭和初年まで行われていた。

 「晴=プラス/雨=マイナス」という図式になぞらえるとするなら、雨乞いには、プラスな状況(晴)が続き過ぎているなかで、マイナスな状況(雨)に導こうとする意図が働いています。あるいは、「晴=通常/雨=異常」という図式になぞらえるならば、通常どおりの状況(晴)が続き過ぎているので、異常な状況(雨)に導こうとする儀礼ともいえるでしょう。
 そのため雨乞いには、神聖なものに対する禁忌を犯して神仏を怒らせるような、わざと秩序コスモスを乱そうとする方法が見られます。本稿ではこの点に注目しておきましょう。

4、混沌を整える天気祭り(雨風祭り)

 続いては天気祭り(雨風祭り)をめぐって。雨乞いとは反対に、風雨を避けようとする行事です。あらかじめ述べてしまうと、先述のように雨乞いには天気の秩序コスモスを乱そうとする方法が見られたのに対し、天気祭り(雨風祭り)には混沌カオスを整えようとする意図を垣間見ることができます(★表4参照)。

 たとえば、民俗学者・柳田国男(1875-1962)が明治43年(1910)に発表した『遠野物語』には、次のような風習が記されています[柳田1935:94-95頁]。

盆の頃には雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道のチマタに送り行きて立つ。紙にて顔をエガウリにて陰陽の形を作り添へなどす……(中略)……里人集りて酒を飲みて後、一同笛太鼓にて之を道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。之を高く吹く。さて其折の歌は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」と云ふ。

 明治期の遠野(岩手県)で見られた天気祭り(雨風祭り)のようすです。末尾に記された歌詞にある二百十日とは、立春から数えて210日目のこと。令和5年(2023)の場合は9月1日。台風が多い日、あるいは、風が強い日とされています。
 この『遠野物語』に記された天気祭り(雨風祭り)に目を留めて、民俗学者・赤坂憲雄は以下のように述べています[赤坂1998:148頁]。

雨風祭りは二百十日におこなわれる雨風鎮めの共同祈願の行事であるが、遠野では盆の頃に日がずらされていたものらしい……(中略)……虫送りが害虫のもたらす災いを藁人形に託して、それを村境の向こうに祓い棄てる行事であったように、雨風祭りは二百十日前後の雨風による災厄を、やはり人形につけて境外に祀り棄てるものであった。人形は穢れを負わされた形代かたしろであろう。

 天気祭り(雨風祭り)とは、「穢れ」すなわち「雨風による災厄」を、「形代」としての藁人形に託して「境外に祀り棄てるもの」である。そう、赤坂は指摘しています。
 やはり、「晴=プラス/雨=マイナス」という図式になぞらえるとするなら、天気祭り(雨風祭り)には、マイナスな状況(雨)が予測されるなかで、プラスな状況(晴)に導こうとする意図が働いています。あるいは、「晴=通常/雨=異常」という図式になぞらえるならば、異常な状況(雨)が予測されるなかで、通常どおりの状況(晴)を保とうとする儀礼ともいえるでしょう。

5、穢れを祓うてるてる坊主

 前掲したように『遠野物語』のなかで当地の天気祭り(雨風祭り)を紹介した柳田国男には、「テルテルバウズについて」という論考があります。昭和11年(1936)に発表された一文であり、そのなかにも天気祭り(雨風祭り)に触れた箇所があります[柳田1936:44頁]。

全体に農家は雨天をさう苦にしないから、晴を祈る為の人形といふものは比較的少ないが、それでも嵐を伴なふ大降りはいやがつて予め之を避けんとし、又東北などの低温地帯では、長雨が続くとやはり人形のまじなひをして居る。この事前と事後の人形造りを総称して、天気祭といふのが最も普通の名であつた。

 大雨をあらかじめ避けるため「事前」に、あるいは、長雨に見舞われた際「事後」に、人形を作って晴天を祈願する天気祭り(雨風祭り)。 柳田によれば、「天気祭の人形は藁を束ねて、時には馬鹿々々しく写実的なものを男女二体こしらへる」のだといいます。
 そして、この「人形によつて晴を祈る風習の由来は、前代農民の災害観に根ざして居る」として、「天気祭もやはり風の神か雨の神かの、人形に姿を託して退却することを、信じて居た者の考案かと思ふ」と述べています。そのうえで注目したいのが、「照々法師は、言はばこの天気祭の破片なのである」という柳田の指摘[柳田1936:44-45頁]。
 柳田はてるてる坊主を天気祭り(雨風祭り)における藁人形と同様に、悪天候をもたらす「風の神か雨の神か」を託される存在として位置づけているのです(★詳しくは「「てるてる坊主=形代」説・再考【てるてる坊主考note#27】」参照)。

 雨風による災厄を託される人形。先述のように、赤坂憲雄はそれを「穢れを負わされた形代であろう」と推測しています。形代とは積もり積もった穢れを託して祀り棄ててしまうもの。
 形代のなかでも、半紙などを使って人や衣のかたちを模して、小さく作ったものはヒトガタと呼ばれます。昨今でも、6月末日の大祓(夏越しの祓)には各地の神社でヒトガタが配られ、参拝者がそれでからだを撫でて無病息災を願う光景が見られます。
 てるてる坊主の原初のかたちもまた、こうしたヒトガタだったのではないか——わたしはかつてそのように推論したことがあります。時代をさかのぼると江戸時代のてるてる坊主には、その姿かたちや呼び名にヒトガタだったころの名残が感じられるのです(★詳しくは「天気専用ヒトガタの誕生【てるてる坊主考note#29】」参照)。

おわりに

 本稿では「晴=プラス/雨=マイナス」および「晴=通常/雨=異常」という2つの図式に基づいて、雨乞いと天気祭り(雨風祭り)について、それぞれの位置づけを確認しました。
 雨乞いは「晴」を「雨」に変えるべく、「プラス」から「マイナス」へ、「通常」から「異常」へ導こうとする儀礼。それは、秩序だった天気の推移を乱す試みです。
 いっぽう、天気祭り(雨風祭り)は、「雨」を「晴」に変えるべく、「マイナス」から「プラス」へ、「異常」から「通常」へ導こうとする儀礼。それは、混沌とした天気の推移を整える試みです(★図参照)。

 もちろん、てるてる坊主は後者の天気祭り(雨風祭り)と同じ位置づけ。すなわち、それは雨風による災厄という穢れを託される形代として、「雨」(「マイナス」「異常」)から「晴」(「プラス」「通常」)へ導こうとする発想に支えられているのです。てるてる坊主は天気に関わる穢れを祓う、浄化装置といってもよいのかもしれません。
 そして、こうした背景をふまえれば、雨を願う際に「ふれふれ坊主」と称して、てるてる坊主と同じ方法を用いるのは筋違いであることに気づかされます。

 なお、先述した宮田登は次のような興味深い事例を紹介しています。すなわち、「山口県萩市で、日和乞のために白い坊主を、雨乞のために黒い坊主の人形を軒に吊した」というのです[宮田1980:42頁]。
 この事例においては、「晴(日和)/雨」という対照的な天気が「白/黒」という反対色に反映されています。基となっているのはあくまでも「白い坊主」であり、それと対になる存在として、あとから生み出されたのが「黒い坊主」なのでしょう。
 本稿の冒頭で、てるてる坊主をわざと逆向きに吊るす「ふれふれ坊主」の例に触れました。これもやはり、基となっているのはあくまでも晴天祈願のてるてる坊主。そこに「晴/雨」の対照性を反映する工夫を加えたやりかたです。
 もとより、てるてる坊主を逆さまに吊るすという方法は、実は江戸時代には主流でした。そこには、むしろてるてる坊主が「晴」を導く力を増大させようとする意図が込められていたようです(★詳しくは後掲の「逆さまのてるてる坊主【てるてる坊主の作りかた#1】」、および、その続編【同#2】参照)。
 結果的に、てるてる坊主を逆さまにすることの意味が、江戸時代と昨今で正反対になっているのは、とても興味深い点です。

参考文献
・赤坂憲雄『遠野/物語考』、筑摩書房、1998年(初出は「物語の境界/境界の物語——軒・道ちがえ・河原・峠のある風景」〈赤坂憲雄〔編〕『方法としての境界』(叢書・史層を掘る 第1巻)、新曜社、1992年〉)
・大塚民俗学会〔編〕『日本民俗事典』、弘文堂、1972年
・「気象観測の手引き」、気象庁、1998年
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/kansoku_guide/tebiki.pdf
・高橋健一「「いい天気」とは何か」(『歴史民俗資料学研究』第8号、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科、2003年)
・『秦野市史』別巻 民俗編、秦野市、1987年
・宮田登「てるてる坊主と日和見」(『民博通信』11号、国立民族学博物館、1980年)
・柳田国男『遠野物語』(増補版)、郷土研究社、1935年(初版は1910年)
・柳田国男「テルテルバウズについて」(国語教育学会〔編〕『小学国語読本綜合研究』巻2、岩波書店、1936年)


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