The Third Man

Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

The Third Man

Y先生には「君には言いたいことが何かあるのは分かるけれど、それが何であるのか分からない」と言われ、H先生には「何かの本質をつかんでいるとは思うけど、それが何かってことだよね」と言われたと話すと「それはそのままthe third manさんのキャッチフレーズになりますね」と。

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    • 対話の対話篇1

      1 パレーシア、怖れ、セーフティ 2 カーニバル、誤り、子供が教える 3 二つの手紙

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    哲学者の「負の能力」

    中島義道『明るいニヒリズム』PHP研究所 p003 まえがき 負の能力  武井麻子の『感情と看護』(医学書院)は優れた看護の本だが、その最後の部分で「負の能力」という概念を紹介している。 多くの精神療法家が好んで引用する言葉に、キーツの詩に出てくる「負の能力」という言葉があります。負の能力とは、「不確かさ、不思議さ、疑いのなかにあって、早く事実や理由を掴もうとせず、そこに居続けられる能力」のことです。もともとは詩人にとって不可欠の能力としてキーツが語ったものですが、精神

      • 子どもの哲学とは何でないか

        1 子供のときに抱いたあの問いを、これから思い出してしまうかもしれない。もしかしたら、誰だって、子供のときに抱いたあの問いを、これから思い出してしまうかもしれない。 https://twitter.com/mstnrt214/status/1191757895823527936 これは、子どもの哲学の一つの解釈であるところの「私の子ども時代の哲学」を表現するものとして、極めて適切であると私は強く主張したい。ツイート中に使われている諸表現「もしかしたら〜かもしれない」とか「こ

        • 『ウソつきの構造』からの考察

          『ウソつきの構造』〜法と道徳のあいだ〜 中島義道 角川新書 2019年10月 アマゾンのリンク  哲学の領域に限っていえば、著者によって何度も繰り返し論じられているテーマが再び扱われているのであるが、今回の著書では人々の関心を集めた政治や社会の問題に即して論じられている。その点で、哲学にあまり馴染みのない一般向けの著書と言ってよいかもしれない。一般向けということでどれほど広く読まれるのかは私は知らないけれども、無責任な予想を立てると、著者のファンとともに、いやそれ以上にアン

          • オジサンによるオジサンのためのオジサン

            0 真摯さを装いながら尊敬の眼差しを演ずるか、それともイロニーに徹することに真摯であるべきか。哲学プラクティスに来て愚弄されたオジサンたちが、著名な哲学者であるオジサンには阿る私をみて許しておくだろうか。敬意を示し建設的な議論をしようとしないことに自責の念がないわけではないが、しかしながらそんな凡庸なことを人が私に期待しているとも思えないし、期待されても答えるべきなのは私ではなかろう。 オジサンの自覚を示すためには、やはりベラベラと喋る必要がある。そのようなものが誰にとって

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            哲学プラクティスにオジサンは必要か?

            1  サッカーするのにサッカーの勉強が必要か、と問われて何を答えるだろうか。必要ない、と答えるだろうか。そのような答えはサッカーをするのがサッカーの勉強によって嫌いになるから、くらいのことしか想定していない愚かな答えだ。ましてやそんな答えを期待している問いはもっと愚かな問いではないか。サッカーを好きになって欲しいなどという邪念などとは無縁な、サッカー好きならこう答えるだろう。「サッカーが好きだったら、サッカーするのもサッカーの勉強も、サッカーの全てを知りたくなるんじゃないかな

            アウグスティヌス『告白』 1巻6章 幼年期のこと

            アウグスティヌス『告白』1巻6章は幼年時代を語っている。適切にも幼年期を思い出して語ることについて神に許しを請うたあと、さらに適切にも「自分はどこからこの世にやってきたのかを知らないのです」とアウグスティヌスは言う(1巻6章7)。もうここですでに落涙ものであるが、他にも気になったところがあった。引用の訳文は全て中央公論社世界の名著アウグスティヌス『告白』山田晶より。 世界の名著 14 アウグスティヌス  https://www.amazon.co.jp/dp/4124000

            哲学病気説についての資料的なものという名の雑記

            1 なぜなぜ病生きにくい…―私は哲学病。 (角川文庫) 中島 義道 https://www.amazon.co.jp/dp/4043496036/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_-Y3xCbT946WMB  (下のページ数は、角川書店(単行本)のもの。) p13 お医者の先生は難しい顔をして、イマヌエルちゃんをひっくり返したりころがしたりしていましたが、暗い顔つきで部屋を出ると、お母さまにひっそりと言いました。 「これは<なぜなぜ病>という恐ろしい伝染病なの

            哲学の問い

            中島義道『死の練習』ワニブックス https://www.wani.co.jp/event.php?id=6155 p53 (天才以外が)真に哲学することは思いのほか大変であって、それは二つの要素からなっている。その一つは、自分の体内深くまで根を張る「問い」を手放さないこと、そしてそれを執念深く育て上げることです。その問いとは、それを手放すなら、生きていても仕方がないと思うほどの問いであり、その問いを解決すること以外のすべてが与えられても満足しないだろうと思うほどの問いです

            『教職研修』での連載「哲学者に読んでほしい教育の話」。今回は哲学を知らずに偉そうなことを言うなら?!

            「『教職研修』での連載「先生に読んでほしい哲学の話」。今回は、「現場を知らずに偉そうなことを言うな⁉︎」です。」 https://twitter.com/ittokutomano/status/1087305356827537410?s=20 私の知る限り、少なくともプラトン(とルソーも?)は、現実的な「行動」に勤しんでことごとく失敗したことが彼をあのような途方もない理想主義イデアリズムに向かわせたのだった。ルソーも合わせてこの二人は、文献学市場では百貨店に卸されて

            知識の資本主義的収奪としての学校教育

            関廣野『プラトンと資本主義』 北斗出版 1982年 http://amzn.asia/d/fkuOhRG p380-382 例えば政府の高官と一介の女性の事務員を分け隔てているのは、身分ではなく官僚機構内の位置の差にすぎない。この事実に対応して、社会的官僚制が規範とする知識は、原則として万人に解放された公的な性格をもち、さらに特定の人格に神秘的に合体した知識ではなく、知識そのものの非人格的な権威がこの官僚制を支配する。加えてこの官僚制を伝統的官僚制から決定的に区別していること

            初夢たる悪霊、悪霊たる初夢

            1私は、初夢を見た気がした。しかしどうしても思い出すことができない。 悪霊が言った。私は今、夢を見た気がした夢をお前にみさせているのだ、と。 そこで私は言った。よろしい。悪霊よ、力の限り欺くがよい。お前がいくら私を欺いたとしても、私を何ものでも無いものにはできない、と。 悪霊は言った。私は力の限りお前を欺いた。そしてお前を、力の限り欺く悪霊にした。その結果お前は、私を、力の限り欺く悪霊にしたのだ。 声が聞こえた。光あれ、と。 そこで私は言った。神よ、我思うゆえに我在

            丸の内・ビジネスマン・中動態

            昨日は丸の内でビジネスマンの方々に中動態の講演。質問タイムでも終了後も、分かりやすいだけの話にはもう飽き飽きである、意味のある難しいことを理解したいとのパッションを感じました。学生にもこのパッションを感じます。これはこのどうしようもない世の中で僕が感じ取っている唯一の希望です。 https://twitter.com/lethal_notion/status/1072656623833878528?s=20 たしかに中動態ほど意味のある難しいものを理解した後でなければ、この

            主観性の無限に放恣な自由としてのソクラテスのイロニー

            キルケゴール、キルケゴール著作集21白水社『イロニーの概念(下)』 pp99-100 真理は、みずからの声を上げる前には沈黙を要求するのであって、この沈黙をソクラテスはもちきたさねばならなかった。それゆえに、彼はひたすら否定的であったのである。そして、彼が肯定性をもっていたとしたら、現に彼がそうであったように、また彼が世界におけるおのれの使命をはたしそこなわないためには余儀なくそうでなければならかったように、あれほど無慈悲には決してならなかったであろうし、あのような食人者(ひ

            2018/08/29の日記 中島義道の哲学対話論?

            1 哲学すべきかどうか哲学しなければならないパラドクス 哲学(者)と(哲学)対話(実践)者は(やっぱり)パラドクシカルな関係にある。なぜなら、哲学を(ちゃんと)するためには、そもそも(哲学)対話ができなければならないが、(哲学)対話を(ちゃんと)するには、そもそも哲学を知らなければならないから。 だから、哲学者はただ(哲学)対話を(実践)することしかできない。 https://twitter.com/mstnrt214/status/1033752722435010560

            哲学対話の喜劇的解釈の序論としてのワークショップの日記

             昨日はコーハン氏とスプリッター氏のワークショップに行ってきた。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1680323308712600&set=gm.575989696121228&type=3&theater    二人の違いについては、何と言っても彼らのファッションがそれを如実に示していただろう。コーハン氏はオレンジっぽいTシャツ、スプリッター氏は襟のついたYシャツ。    はじめに私はコーハン氏のワークショップを体験した。時間

            火の哲学、反反省、対話の向き

             三日はSさんと飲みに行った。歳の初めにふさわしい狂宴(?)であったが、対話や問いという、私が分を弁えているところの観点からそれを思い出して考え直しながら書いてみようと思った。そうしたら、案の定、長くなった。色々削ろうかどうかと考えているうちに、2日も経ってしまった。これを全て読んでもらえると思えるほど私は楽観的でありたいのだが…、まあ、とにかく、目次は作った。そして、google document で読めるようにもした。 目次1 火の哲学  ツァラトゥストラのカンテラ