哲学者の「負の能力」

中島義道『明るいニヒリズム』PHP研究所 p003

まえがき

負の能力
 武井麻子の『感情と看護』(医学書院)は優れた看護の本だが、その最後の部分で「負の能力」という概念を紹介している。

多くの精神療法家が好んで引用する言葉に、キーツの詩に出てくる「負の能力」という言葉があります。負の能力とは、「不確かさ、不思議さ、疑いのなかにあって、早く事実や理由を掴もうとせず、そこに居続けられる能力」のことです。もともとは詩人にとって不可欠の能力としてキーツが語ったものですが、精神療法家にも同じ能力が必要だというのです。何かができる能力でなく、何もできない無力感や空しさに耐える能力のことです。(土居健郎『新訂 方法としての面接』医学書院

まさに、この「負の能力」こそ、哲学する能力と言っていい。「不確かさ、不思議さ、疑いのなかに…居続けられる能力」は、一見消極的に見えるが、そうではなく、何ごともごまかさずに見てみれば、考えてみれば、感じてみれば、不確かで不思議なことばかりである。でも、日常生活においては、とにかく今起こった事態を何らかの仕方で処理し結果を出さねばならず、「そこに居続ける」ことはほぼ禁じられる。
 哲学者という人種が何らかの存在意義を持ちうるとすれば、ほとんどの人がこうして首をかしげながら絶え間なく次へ次へと進んでいく中で、そうすることを拒否し、「私が死後無に帰するのなら、私の人生に何の価値もない」という言葉が示す場所に居続けることだ、二〇歳のこと私はそう思った。

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