オジサンによるオジサンのためのオジサン

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真摯さを装いながら尊敬の眼差しを演ずるか、それともイロニーに徹することに真摯であるべきか。哲学プラクティスに来て愚弄されたオジサンたちが、著名な哲学者であるオジサンには阿る私をみて許しておくだろうか。敬意を示し建設的な議論をしようとしないことに自責の念がないわけではないが、しかしながらそんな凡庸なことを人が私に期待しているとも思えないし、期待されても答えるべきなのは私ではなかろう。

オジサンの自覚を示すためには、やはりベラベラと喋る必要がある。そのようなものが誰にとっても見られるような状態にあるのは、おそらくはふさわしくない。それなりの対価を払って損をしてもらう必要があるからである。他方で、対話をもしも始めるとしたら、子どものように短い問いがよい。それについては誰に見られてもよいようにしておいた。対して、損をしてでもわざわざ私のイロニーに徹する姿を見たいという奇特な人を拒みはしないように、以下のものにお金を払っていただけるようにしておいた。お金を払うのがどうしてもいやな方は、私にお「問い」合わせいただきたい。

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https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1166138919202615296
小学生で哲学者になったと自覚してる私はこれを否定する。「哲学なんてとんでもなく難しいものが勉強だけで手に入るというだけでも胡散臭いのに、それどころか勉強すらしないでも手に入るだなんて、そんな都合のいい話があるわけがない。この私の感覚は普通ではないのか?」続
子どものなかには、「なんでそうなるの? なんでなんで? え、でもその理由はなに? 自分で考えてみるね! それはこうだからじゃない? わー、わかんない! ねえ、ひょっとして・・・」という無限ループにいつも入ってる子が一定数いるはずだ。私はそうだったし、それは哲学を学んだ成果ではないだろう
ナチュラルボーンフィロソファーズ。
あえておじさん役をやってみてるエンタテイナー魂とは。

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