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なぜフィリピンセブ島在住になったのか

フィリピンセブ島在住25歳のうりっぽです。

普段ちょけてる僕ですが、今回は少し真面目にnoteを書きます。

ぼくの直近4年間について綴ったnoteですが、面白いと思いますし、そこそこ頑張って生きてきたかなと思います。

ぼくの生き方でも誰かの役に立つかもしれないので、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

大学生のぼく

2017年に大学に入学したころのぼくは、希望した大学に入学できず絶望的でした。大学から自転車で10分の場所に住み、イタリアンの厨房でバイトする日々。

友達を作る気もおきず、想像していた華やかな大学生活はどこにもありませんでした。

そんなぼくでも「将来成功してやる」という気持ちはあり、当時、与沢翼かっこいいとマイブームがあったため、金融の勉強として簿記や証券アナリストの資格を取って、勉強を頑張っていたつもりです。

でも、いま思うと資格なんてゆうても資格です。実務的ではなく、机上の勉強という感じ。変な金融の知識がついたことで、おじさんに交じって東京証券取引所の金融セミナーに通ったり、月々10万円くらいのバイト代で仮想通貨を買ってみたり…

よくわからない日々を過ごした大学1年から3年。偏差値39のFラン大学なことも相まって、正直、将来に光なんて見えず、かなりどん底でした。

2019年の出会い

そんなぼくでも趣味があり、旅をして世界を回っていました。ヒッチハイクしたり、ヨーロッパを周遊したり、ラオスを縦断したり。

旅をしているうちに「英語は絶対に重要だ」と感じるようになり、2019年8月に大学を1年休学して、フィリピンのセブ島に行くことを決意。

「休学後の就職は難しい」「休学しても何も得られないかもしれない」そんな不安の中、フィリピンに旅だったのを記憶しています。

フィリピンでは、2つの語学学校に通い合計4ヶ月間留学しました。そして、お金もなかったことから現地の語学学校へインターンすることに。

マーケティング部署に配属されましたが、受かったのが奇跡だったくらいみんなが高学歴で、ぼくは仕事ができず上司から怒られる日々。必死に食らいついていました。

まさかのコロナになり…

あと残り半年間インターンを頑張ろう…!そんなときにコロナウィルスがフィリピンでも蔓延。ロックダウンで外出が一切できなくなるため、帰国するしか選択肢がありませんでした。

フィリピンで色んなことを挑戦したいと思っていた矢先のできごとで、また人生絶望になり、かなり病んだのを覚えています。

帰国しても、1年間の休学だったため大学には戻れず、栃木県の実家に戻りニートをしながら、地元の蕎麦屋さんでバイトをしていました。

元々Fラン大学生で就職が難しいのに、コロナで更に就職が難しくなり、お先真っ暗。

ほんと死にたかったですね。

行動してみたコロナ禍

それでも「将来成功してやる」という思いはどこかにあり、田舎から出ることを決意。 

でも、お金もないし、知識もないし、人脈もない。

そこで住み込み型のインターンに絞り、ネットやSNSで探しまくりました。やっとの思いで見つけたのは、テック系不動産企業。「ここに行くしかない」と思い、面接を受け、なんとか合格。2020年5月に東京に行けることが決定しました。

無料で住めるという特典がありましたが、お給料は数万円。とても東京で暮らせる環境ではありませんでした。

そこで、海外インターンで培ったライティング知識を使い、クラウドソーシングで仕事をしまくりました。あとはポイ活。知識は乏しいもので、営業スキルもなかったため、時給は100円程度。

毎日、自炊とすき家と缶ビール。睡眠は3時間。人脈を広げるために、色んなとこに出向きました。文章では、あまり重みが伝わりませんが、月の仕事時間が450時間を超えていたかと思います。

真っ暗から少しの光がみえた

必死にインターンして、ライティングして、ビジネスの勉強をして、失敗の連続でしたが、100円だった時給は、1年半後には1,000円、2,000円と上がっていきました。

そして、超人脈を増やしたおかげで、イベンターとして2ヶ月に1回50人ほどのイベントができるようになったり、大きいお仕事がもらえるようになったり、他拠点生活ができるようになったり、少しずつ将来への光がみえてきました。

「イケる」と思っても偏差値が低いので

そして、帰国から2年後には、お仕事のインタビューをされるほどに。仕事は、ライターから編集者、ディレクター、元請けと上がっていき、大手との仕事もできるようになり、観光業も始めました。

このころには、高学歴新卒の給与を大幅に超える稼ぎがあったため、「人生イケるぞ」と思っていました。

しかし、ぼくの根本は真のアホなため、お金に余裕が出てくると全て使ってしまうタイプでした。月の飲み代と奢る費用で50万以上。クレカを使い過ぎてクレカが止まることも… 超イきり生活をしていたため、貯金額が40万円を超えたことはありませんでした。

住むとこも悪かったです。24時間365日遊べる新宿歌舞伎町。週5で飲み歩き、お日様がみえたら解散。そんなことを続ける1年間でした。

やりたいことをするためにフィリピン行きを再決意

低学歴のぼくでも「さすがにこの生活はヤバい」と思い、再挑戦の地として3年前にやり残したフィリピンに行くことを決意。

しかし、貯金40万円では新規事業は愚か、住むのもきついかもしれない。そこで、一旦資金を貯めるために修行をすることに。

修行の地として選んだのは、フィリピンのボホール島。セブ島からフェリーで3時間の場所にあり、日本人は数十人しか住んでいないような超ド田舎です。

電車やタクシーなどはもちろんなく、移動はトライシクルという相乗りタクシー。月に数度は停電・断水が起こり、スーパーは21時に閉まるインフラも整っていないような場所です。

「ここで人に会わなければ、貯金ができるし仕事に集中できる」そう思い、ボホール行きを決意。そして、家賃も水道費も光熱費も払いたくなかったので、現地で働ける企業を探しました。

すると、社宅・Wi-Fi・水道光熱費無料、お給料有りの求人を発見。すぐさま応募しました。しっかり受かり、2023年1月からフィリピンへの渡航が確定しました。

ボホール島での暮らしは修行そのもの

ボホールでの暮らしは計画通りで、なんなら予想以上の修行でした。ぼくは人と話すのが大好きなのですが、まず日本人と話せません。

そもそも、全くいません。そして、ぼくが住んでいたエリアは、飲み屋が早い時間に閉店してしまうので、朝まで飲むこともお金を使うこともない。

生活費でかかるのは食費のみ。月2~4万円の生活をしていました。結果的に、半年間住んでいましたが、それでも数百万円貯まり、事業資金と移住資金ができました。

人間環境を変えれば、お金なんて簡単に貯まるんだなと思いましたね。

セブ島で更なる高みを目指す

お金も貯まったし、コロナ後のフィリピン事情についても理解できたので、ボホールを離れようと思い2023年8月で退職。3年ぶりのセブ移住をすることにしました。

セブって凄いですね。24時間お店やってるし、交通機関あるし、めちゃうま日本食あるし。そして日本人めちゃいて、感動しましたね。同じフィリピンでもここまで違うのかと。

けど、セブ島に来たのは、遊ぶからではありません。事業をするためです。

いろんな事業を検討していますが、ひとまず観光業を始めようかなと。結構ぼくのポテンシャル的に上手くいきそうだなと…

そして、まず日本人ゲストハウス&シェアハウスを立ち上げました。

他の事業も始める予定でパートナーを探し、フィリピンでの起業方法・法律を勉強し、現地の業者と提携し、新しいことに挑戦中です。言語の障壁、面倒な外国人起業。壁にぶち当たりまくりですが、学生生活から比べたらかなり楽しいです。

ってことで、セブ島在住になりました。落ち着くまでは、基本的にセブ在住ですね。

長々と文章を書きましたが、過去を思い出せる良い機会になりました。ここまで読んでいただけた方ありがとうございます。

そえば、最近大学を中退したので、次回はその話を。

更に記事を書こう!という活力になります!