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★キャンピングカー生活まであと53日★「切なさの感情」

こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか?
ぐっちーです。

今回は感情について考えてみる。
喜怒哀楽の中では哀の仲間なのかもしれない「切なさ」。

切なさにも色々な種類があると思う。

自分の想いが受け入れられなかった時の切なさ。
夏の終わりの夕暮れにヒグラシの声で季節の変わり目を感じる時の切なさ。
今までの仲間との別れを経て、ふと気づく切なさ。
文庫本を一冊読み終えた後に、めくるページを失った時の切なさ。

こう書き出してみると、切なさは悲しさとは直結しないような気がする。
かといって、他の喜怒楽の感情とも直結しないと思う。

言うなれば第五の感情なのかもしれない。

私は、切なさを感じるタイミングが好きだ。
誤解を恐れず文字にするならば、感情的な快感を感じる。
しかしこれを詳細に言語化するのは困難を極めるので、100%を表現することは不可能だと諦めた上で文章にしてみる。

切なさの正体より先に、切なさを感じるとどうなるのかを考えてみる。
私は切なさを通して、何か一つ区切りが付いたという満足感を感じることが多い。

恋の終わりで別れを経験する時、卒業して一つ期間が終わる時、ドラマが最終回を迎える時、季節が終わる時。
「終わってしまったなぁ...」と、二度と出会う前に戻れない今という尊さに感謝をするとともに

そして改めて「切ない」の正体。
古語"せつなし"や"切"の漢字の意味から来る「大切だな」「心の宝だな」と思う気持ち、そして現代の「つらい」や「やりきれない」という言葉の定義。
なぜ辛いと、やりきれないと感じるか。

それこそが「切なさ」の正体。
今まであったことが終わってしまうことに、人は慣れていない。
胸を締め上げる気持ちを言語化する際に、どうしても「切ない」がネガティブな見方と繋がってしまい、「つらい」「やりきれない」という表現になったのだと思います。

それは人の主観のフィルターを通して抽出された表現であり、切なさの原料にはポジティブな部分も多く含まれていると思う。

私はその原料に含まれた要素を多く吸収できる能力のようなものがあると思う。
「切なさ」を感じると、確かにつらい、やりきれないけど。
同等かそれ以上に「充実感」を感じる。

切ないと思えるほど、好きでいた。
切ないと思えるほど、夢中でいた。

それらの証明こそが切なさであり、その度合いが大きいほど深い切なさを感じられる。そう思えるのは過去それだけ本気になれていたことの証明だから。

「がんばってきたんだね」って、自分を褒めてあげたい。
そして終わりは次の始まりだから、また前を向けるきっかけになる。

人生は、山あり谷あり。
エネルギー保存の法則。
プラマイゼロ。

切なさの感情も、つらい、悲しいの分だけ、心を満たしてくれるものが隠されている。
だから結局、どこに着目するかで感情の捉え方も変わる。

どうせなら、切なさも味方にしたい。
私は私の切なさと仲良しです。

<<<あと54日>>>
悲しみをやさしさに




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