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他人の話を最後まで聞けない人は利口で愚行

話をしていて、最後まで話を聞かずに割って入ってくる人がいる。

あの人達は、今迄の経験や知識から話の流れを読み取り予測して無駄な時間を節約しようとしている。

と見せ掛けて、ただただ相手を見下し愛の無い愚かな行為に自分の優越感や承認欲求を満たそうとしているのではないだろうか。


まず相手の話を最後まで聞かないという事は

相手を少なからず軽視しているのではないだろうか。

目上の人の話を割って喋る人はいないだろう。

いたとしたら尊敬されていないのではないだろうか。


次に、話を割って喋るという事は

その人の経験値から自分を型に嵌めて決め付ける行為だ。

それが正しい時もあるだろうが間違っていた時はどうするのだろうか。

ただお互いに不機嫌になるだけではないか。


海外では必要以上に相槌を打つのもイラつかれるらしい。

話を遮る行為なんだとか。

日本では相槌を打たないと聞いていないと思われてしまうので必要以上に相槌打つ人もいるのに。

海外ドラマでジーッと目を見て話を聞いているのはドラマだからじゃなくて文化の違いだったのか。


最後に、割って話し出すという事は

「相手の話を聞く」という責務を放棄し、「自分の意見を言いたい」になってしまっている。

相手の考え方や思いなんてものは無視である。

自分の考え方を押し付けたい。

自分の有利に進むように話を進めたい。

自分の都合の良いように相手を説き伏せたい。

ただの横暴である。


「人の話を最後まで聞く」

子供に言うような事が出来ない。

子供に言い聞かせる事は往々にして大人達が出来ない事だったりする。

自分の行いを見つめ直す事が出来ない。

いつだって学ぶべきなのにいつからかそんな謙虚な姿勢も忘れ「空気の読めない」老害に成り下がる。


ここから学ぶべき教訓は

「人の話は最後まで聞く」という事と

「他人の振り見て我が振り直せ」という当たり前の事である。

当たり前すぎて書く必要もない。


最後まで話を聞かれなければ嫌な気分になるのは誰でもわかると思う。

それでもそうする人がいるというのは、想像力が乏しいか思慮が浅いかではないだろうか。

それしか想像できない私も愚か者か。


然様然らば是にて御免。


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