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どう考えても『労働者』はリスクでしかないと思った

どうも社会のゴミクズ、とよいけです。

僕は、通勤中・ドライブ中・旅行でゆったりしている途中、登山をしている途中、常に考えこんでいる。

考えたくもないのに、常に考えるクセがついてしまっている。

これは幼いころ、先生・両親・水泳のコーチから「ボケーっとしてないで考えながら行動しなさい!」って常々いわれてきたからなのかもしれない。

それは僕にはわからない。

そして、考えている内容はというと、ほとんどこういうのばかり。

(心の声)どうやったらラクして稼げるかな...?
(心の声)一生、労働者のまま人生を過ごしたくない
(心の声)かといって何を始めたらいいんだ?
(心の声)『何もしないレンタル』って本当に需要があるのか?
(心の声)でもそれで稼げている人はいるし、需要はあるはずだし。
(心の声)やっぱり知名度が圧倒的に低すぎるから仕方ないのか。
(心の声)じゃあどうすれば知名度を上げられるのか?
(心の声)Instagramとnoteを更新しまくる?
(心の声)それともYouTubeで実写動画だす?
(心の声)でもそれだとネタがないし、ゲーム実況は機材そろえないとだし...。

こういう考えが頭のなかで永遠にループしている。
考えるだけ無駄なのはわかっていても、どうしても考え込んでしまう。

そんなある日、24・25日は家族全員で旅行することになった。

目的は、長野県にある蓼科山(たてしなやま)の山頂まで登ること。

それで24日の深夜2時に出発し、交代交代でドライブし、わずかな睡眠時間で蓼科山頂(2530m)まで登山した。

登山前にサービスエリアでカツカレーを食べたうえに、睡眠不足もあってか序盤は死んでいたが、なんとか山頂まで登れた。

そして、僕はおもしろいことに気がついた。

自分がこの旅行をへて、大きく成長しているということに...。

これはまた別の機会で話そう。

ニートは心の余裕がある

んで、今日話すことは登山したことではなく、旅行中に考え込んでいたことについてだ。

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ぼくは現在ニートだ。

2020年10月20日に介護職をやめ、それから新たな仕事がはじまるまで時間がありあまっている。

借金を背負っている身なので、まずいと思いつつも次の仕事がはじまるまで待つしかない。

旅行は土日の2日間で次の日が月曜でもニートなので、次の日のことは気にしなくてよかった。

しかし、兄は月曜から会社があったので、はやく帰って仕事の準備をしないといけなかった。

ここで僕は考えてみた。

ぼくは時間に余裕があったので、心置きなく旅行を楽しむことができた。
一方、兄は楽しむ半分、はやく帰りたい半分だったはず。

さて、どちらのほうが生産性のある1日を過ごせただろうか?

もちろん、僕のほうだよね。

心置きなく旅行を楽しむということは、先のことを考えず、いまを全力で楽しむということ。

いまを全力で楽しむということは、楽しむことに集中するので「どうすれば旅行がより楽めるようになるのか?」という思考がはたらく。

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そして、1つの考えがひらめいた。
それは『思い出にのこす』ことだった。

その結果、1つの動画が生まれた。

それがこちら。

お世辞にもうまいとは言えないが、1つの作品をつくった。

子供のころ、授業でなにかしらの作品つくったと思う。
だが、大人になってからはほとんどの人がやらない。

旅行をするということは情報をインプットしにいくようなもの。
だが、肝心なアウトプットはみんなしない。
そして、アウトプットはインプットよりも重要といわれている。

ぼくは自分の成長のためにと思い、動画編集に取り組み、動画投稿(アウトプット)をした。
ただ動画投稿しただけに見えるが、編集のところで学べることがたくさんあった。

だから結果的にやってよかったと思っている。

『労働者』になることがリスクと思った理由

一方、兄はというと半分は楽しめていたけど、半分は楽しめていなかった。

「はやく帰らないと...」といい、途中から急いでいた。

せっかく素敵な場所にいるのに、頭は明日の仕事のことでいっぱいだった。
考えても仕方がないのに、真面目な人はどうしても明日の仕事のことを考えてしまいがち。
しかも、その仕事というのも自分のやりたい仕事ではない。

自分のやりたい仕事なら、仕事をしても苦ではないし、学んだことも吸収しやすい。
だが、自分のやりたい仕事ではない場合、仕事をすればするほど苦痛に感じて、学んだこともなかなか吸収できない。

生産性が低すぎる。

生活費を稼ぐために労働をすることは大事だが、それは同時に自分の選択の幅を狭めていることになる。

今回の旅行だってそうだ。

なにかクリエイティブなことを考えたり、きれいな写真や動画の撮りかたを考えたり、どうすれば今をもっと楽しめるかを考えることもできたはず。

でも兄にはそんな余裕がなかった。

その急いでる姿をみて、ぼくは非常にもったいないなと思った。

でも気持ちはわからなくもない。
僕だって次の日に仕事があるとおもうと、心に余裕なんてできない。
これは僕や兄が真面目な人間だからこそ、仕事に心が縛られてしまうのかもしれない。

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でも真面目な人間は、ぼくら兄弟だけではないはず。
世には、ぼくらよりも真面目で勤勉な人はたくさんいる。

お金のために仕事をなんら不満なく働ける人には関係ないことだ。
でも今の仕事にすこしでも不満があるなら、おそらく心が大きく消耗しているはずだ。

この世に存在する人間をふくむ動物たちは、限られた要素がある。
それは時間とエネルギーだ。

時間は有限というのは、誰もが知っていること。
同時に、エネルギーも有限であることを忘れてはいけない。

時間といえば1日24時間と決まっていて、エネルギーも1日に消費できる量は人それぞれによって限られている。

そして、その1日に使えるエネルギーの限界をこす前に、体は自動で制御しようとする。
だが、それでも無理やりエネルギーを使ってしまうと、大きなストレスが生じて体と心がどんどんボロボロになっていく。

体の場合は、免疫機能が低下して風邪を引きやすくなったり、関節や内臓にダメージが蓄積して、なにかしらの大病になってしまう。

心の場合は、どんどん自己肯定感が低下して、好き嫌いの感覚がマヒして、平気で自分をだまし続け、気がつけば"本当の自分"を見失い、ウツになって自殺願望をいだく。

こういったストレスのかけすぎは言うまでもなく、寿命がどんどん縮んでしまうので、あまり経験しないほうがいい。

ちなみに僕は、心のほうは高校2年のころにすでに経験済みだ。
理解者は誰もいなかったので、すごくつらかった。
詳しくは、ここを読んでくれたらわかる。

話がかなり脱線してしまったので、内容をまとめよう。

自分のやりたくない仕事をしている以上は、学べることも少なければ、クリエイティブや楽しいことを考える余裕がない。

それどころか心のストレスばかりが増えていき、どんどん自分のやりたかったことを見失い、可能性をなくしていく。

かわいそうだが、現在の兄がまさにこれだ。
実家に戻ってきても口を開けば、会社の愚痴ばかり。

全員とはいわないが、労働者ってどう考えてもリスクでしかない。

特に、日本の労働環境はあまりにも残酷なところが多すぎる。
『真面目に長くはたらき続けること』が"美徳"という悪しき洗脳が、日本人に植えつけられている。

残業せずに定時になったらそのまま帰ればいいのに帰ろうとしない。
というより帰りたくても帰れない。
悪しき洗脳が日本人の脳に植えつけられているから。

時間はお金よりも大事ということはみんな知っている。
にも関わらず、自分たちの利益のために従業員に無給で残業を強制させる会社がいまだあることに僕は驚きを隠せない。

残業を強制させる会社に問いたい。

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お前らは人をなんだと思ってるんだ?


ってね。

さらに正社員になれば、給料が少ないわりに責任だけがのしかかる。
そしてその責任によって、その人の心はどんどん蝕まれていく。

僕があなたに伝えたかったこと


何度も言うが、労働者はリスクでしかない。

だから、もしあなたが今仕事をしているんであれば、手をとめて自分の心に問いただしてほしい。

「本当にこれが自分のやりたかったことなのか?」
「自分が1時間に働いた価値はたったの1000円なのか?」
「このまま一生自分の労力と時間を費やして働いていくのか?」


ってね。

でもあなたがニートであるなら、仕事を探すのも良しだが、労働以外で自分らしく生きる方法を探してほしい。

『とりあえず我慢して今の仕事をやり続ければ、いずれ自分のためになる』

そういった妄想を抱くのはもう止めにしよう。
どうせ会社の養分になるだけで、あなたのためになんかコレっぽちもならないから。

人生は一度っきり。

あなたの時間、あなたのエネルギー、そしてあなた自身をもっと大切に扱ってくれ。

そうすれば、あなたは自分のやりたいことで人の役に立てるようになれる。
いずれ、必ずね。

怒りの感情と伝えたいことがありすぎて、文章がまったくまとまっていないが許せ。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました!

ここから続きはないが、心優しい方はポイッと投げ銭してくれるとすごく嬉しい。

最後に一言...

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