【気まぐれエッセイ】イタイ→ダレ?笑 の先にしかないもの

早い段階で大手に育てられたごく一部のスターを除けば、人前に出る仕事、表現する仕事をしようとすると、世の中に認知されるまでの間に必ずと言っていいほど「イタイ」と笑われるもの。

「有名人気取り」
「ナルシスト」
「ぶりっ子」
「かっこつけ」
「ダレ? 笑」

「イタイ」ってね。

でもそれを恥じて動かずにいると、その先の景色は見られない。

まあ、別に見たくないって人もけっこう多いと思うけど。多くの人に見られる仕事って、ある意味「見世物になる」ってことだから。どんなにそういった職業に憧れる人が増えようと河原乞食的要素はどこまでも付きまとう。自分が商品って言うとカッコイイけど、自分が売り物って言うと、尊厳が脅かされる感じすらするし。

私も今、有名でも何でもないからこそ得られる幸せがたくさんあるって思うしね。例えば堂々とデート出来るとか、プライバシーが守られているとか、わりと好き勝手に生きていても誰にも批判されないとか。有名な人たちって本当に些細なことでも(むしろ悪くないようなことでも)、揚げ足取られて批判されているもんね。まあ、そういう嫌な思いをすることもないし、自由でいられる。

だからそっちの生き方が好きっていう人の気持ちも、よく分かる。


だけど、それでも私は、見てみたいんだよね~。


イタイ、の先にある景色を。


私は子どもの頃から、大きな夢を描くロマンチシストだった。大人になるにつれ、そのことで傷付くことが増えてきた。「あ、私、ちょっとバカにされてる?」って。だから私は、少しずつ自分の中の「炎」を、隠す術を覚えていった。だけど、消えることはなかったんだよね。隠しても隠してもずっとそこにあったの。

隠すことが上手になり過ぎて、いざ出そうとすると(オーディションのときとかにね)、全然表れてくれなくなって、いつしか気づけば、1番得意だったはずの自分を表現するってことが、苦手になっていたけど。


このまま、諦めなくちゃいけないの?って怖くてたまらなくなった頃、SNSがメキメキ力を持ち始めた。まだ頑張れる!この流れに、どうにかこうにか食らいついてやるって、思った。


「この程度なら、私にだってなれるし」なんて、活躍している誰かを悪く言う自分ではいたくない。


憧れが嫉妬に変わりそうなとき、それは「動け」というサイン。


31歳にもなって、まだ子どもみたいなこと言ってるの?って笑われるかもしれないけど、10代の頃はツルツルだった私の心臓に、最近ようやく毛が生え始めたんだよね(笑)

だからきっと、今度こそ大丈夫だと思う、私。




幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。