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1-6 ダメージがカンストした日

 日に日に僕は暗くなり誰とも喋らなくなっていた。普段から話しかけてくれていたO君も何も話さない僕に対して距離を取っているように感じた。

それは仕方ない。話しかけても返ってこない、そんな人と絡むやつはそうそういない。

孤立感が増す

独りでいる時間が増えた。



通学時間は地面を見ながら秒速1メートルというかなりの遅い速度で学校へ行く。いわゆる足取りが重いという状況。

学校に着きカバンの中の荷物を机の中にしまうと、伏せて寝たふりをするか、教室内の掲示物を繰り返し読む。Passionの綴りもこの時に覚えてしまった。

授業中も集中が出来ずにいた。ノートの紙ヨレひとつにイライラとして投げ捨てるかその場で燃やしたい衝動に駆られていた。教科書を開かない時もあった。

休憩時間(地域によっては放課時間)は鉛筆や消しゴムに記載してある、いかにこの製品が優れているか、どのような意図で、気持ちで作られたかを読んで過ごした。

給食の時間は相変わらず教室の真ん中の孤島で食べていた。
少しずつみんなとの机を離すようになり、後は頼んだと言わんばかりに力尽きたテーブルクロスが虚しく床に向かって垂れ下がっていた。


もう僕の机を守る心許ない薄い布は無くなっていた。最終的には30㎝ほど(多感な頃の30㎝は15㌔に等しい)離れていただろう。まさしく教室の中の孤島である。

さすがにO先生もおかしいと感じたらしく、ちゃんと班にして食べなさいと言ってきた。心の中で『◇✖▼Σ!?』と言いながら僕は従った。(なんて無力な中学生だろう。今の僕からは考えれないほど正直者で、大変かわいい)



そんな一週間をなんとか過ごしていた時に少しずつ感じたMさんへの違和感。違和感というかなんというか。本人に確認したわけではないので推定となるが(確認するすべもないが)最初はバツが悪そうにしていたMさんだったが、今となっては私は関係ないわ状態である。


ある日、先生がプリントを配った。

「はーい、これ6枚あるから班で回してください」

先生はそう言った。そのプリントがMさんに渡る。

そこに僕がいないかのような振る舞い。プリントを渡す際も目を合わせない。目どころか、差し出した手にも渡さない。Mさんは僕という泥人形を冷たく観察しながら、机にご丁寧に置くだけ。

これは演技ではない。

空気中の微小成分のような扱い。よく空気のような存在というが、いるのが当たり前という意味ではない。あらあなたいたの?という意味である。


正直、ダメージが大きかった


 無視をされたことのある人、無視されエキスパートにとってはlevel.4のまだまだ水色甘ちゃんスライムかも知れないが、当時の僕にとって生まれて初めての無視され記念日だ。今でこそこんなに面白おかしく書くのは、その過去の出来事を昇華できるのではないかという淡い期待だ。浅はかで甘い考えで愚かだと笑えばいい。もしかしたら今でも蛇のように根に持っているのかもしれない。
 前回もお話したが、受け止め方は人それぞれだ。それまでサッカー部に在籍していたり、生徒会に立候補したりとどちらかといえばやや陽キャに属する僕にとっては恐ろしく深い傷だ。マリワナ海溝よりも深くそして暗い。
 他人は”何をそんなことで”という。実際僕も決心して相談した”大人たち”からこのセリフを何度聞いたことか。はっきり言って”セリフ”だ。そこに心はない
 問題発言するぞ。いいか、登校拒否児たちよ。元登校拒否児の僕が30年以上(おっさんだからな)体を張って得た答えだ。いいか。身を守るのはあなた自身だ。そしてあなたを守るのは友達でも先生でもない。身を守るのは、あなたのこれまで、もしくはこれからの実績と、知識、教養、そして同じ志を持つ仲間だ。友達じゃない。仲間と友達を混同してはいけない。すべての友達、先生がダメというわけではないが、それを見分ける選眼なんて養われているわけがない。これは学校では教えてくれない。
 実績は作ればいい。これはつまり”行動”だ。家にいてTwitterで有益情報を発信するのも良い。このnoteで思ったこと、感じたことをポジティブに表現すれば良い。晴れた空の下、歩くんだ。そこで感じたことを目と心に焼き付けろ。それはあなたの財産に替わるだろう。プログラミングの勉強をしてみてもいい。あいつらは正直者だ。間違った事を言ったら(誤ったコードを書いたら)テコでも動かない。読書は最高だ。特に自伝はその人の人生を仮歩み出来る(おすすめは”成功はゴミ箱の中に”だ。book offで200円くらいで買える。間違えなくハンバーガーを食べたくなるぞ)知識はいくらでも後付けできる。学校の勉強は後からで良い。追加料金はかかるがな。
 でも、変な人とは関わらないこと。悩み聴くよなんて輩には決して近づくな。悩みを話すのはこっちだ。聞いてもらえると思うな。毒虫だ。餌を待つ食虫植物と同じだ。もしかしたらそれ以下かもしれない。
 誰かが言っていた。君の心が分かる、と。そんなことは無い。断言してもいい。分かるはずがない。生まれた環境も、聞いてきた音も、感じた空気も、触れてきた砂の量も、息をのむほど感動した経験も、人類は全員違う。変なやつとは関わるな。
 最後にもう一度言うぞ。身を守るのはあなた自身だ。あなたのこれまでの実績、これから作れる実績、知識と教養、そして同じ志を持つ仲間だけだ。

 まさか自分が空気のような存在になるなんて思いもしなかった。
手の先まで氷のように冷たくなった。僕は寒くて震えてるわけではない手でプリントを班に回した。

頭の中で問いかけが始まる。(とはいえ、僕は多重人格者ではない)


僕は不要?


いなくてもいいんだ。


この班に、教室に、この空間にいてはダメなんだ。


もう自分が自分を承認できなくなっていた。


僕はすっかりと自信と希望と未来と光と普通の青春と夢と憧れを失った




そして



ついに



自分自身を失った



自分の中でなにかを繋ぎとめていた、細く脆い糸が



音も立てずに、静かに



切れた








*ダメージ判定について僕が思うこと


 これだけ見るとゲームみたいだ。モンハンかドラクエか。そんな感じだ。実際の人生ではココロの回復アイテムは存在しない。青いバラのように人々が作った幻想だろう。ココロというのは一度ダメージをくらったら簡単には回復しない

しかも憎いことに、このダメージはダメージ判定が一度でもつくとリセットは出来ないし蓄積されていく。さらに、常に毒状態で何もしなくてもダメージは足されていく。成す術もなく、その毒で体は蝕まれすべてを侵食していく。治療薬もない。言葉は恐ろしい人口兵器だ。まさに人の口から出た最終兵器

 では僕たち登校拒否児は、その毒を食らい続けるしかないのか?
ご想像の通り、そんなことはない。そんなことはあってはならない

確かにダメージは一生残る。それはもう受け入れるしかない。ただ、毎日の蓄積ダメージは防ぐことが出来る。それが勉強と、運動だ。

はぁ?ふざけんな!って声が聞こえてきたぞ。

しかし事実だ。

なんだか真面目な話になってしまい申し訳ない。もしこれを見ているのが登校拒否児さんなら、次のこと試してみるがいい。

 好きな本を中古でも良いから買って読んで(図書館でも良いが、ちゃんと返すこと。)自分で要約する。要約したらnoteでもTwitterでも良いから発信してみる。ここでポイント!世の中にはニートよりもはるかに暇人が多いので、たいていの場合文句や嫌味や反論をしてくる。なので最初からコメント機能をoffにしておけ。暇人を相手にしている暇は僕たちにはない。僕たちはダイヤモンドより美しく高貴で硬い孤高の原石だ。
 そして、どうしても日中に眠くなったら、外を一周安全に散歩する。それだけでダメージの蓄積は防げる。その毒の強さにもよるが、経験上ほとんどの毒に有効だ。もちろん夜に眠くなったら枕を抱いて寝とけ

 これは科学的にどうかは知らないしどうでもいいが、僕が体感してきたことだ。やってみる価値はある。

 もしこれを読んでいる方が親御さんなら、一緒に本を読め。一緒に散歩しろ。なにかを一緒に作り上げろ。それがゲームでも絵でも、楽曲でも何でも良い。二人の(もしくは三人)の生きた証を作り上げろ

何したらいいか分からない人のために具体的に言うぞ。

ピアノを弾けるなら、曲を書け

絵が描けるなら、ひらすら描け

料理を作れるなら、一緒に作れ

夢があるなら、一緒に語れ

愛があるなら、心から寄り添え

そして太陽に誓え。自分で道を作る、と。


んー、ちょっと中二病っぽいけど、真実だ。この表現が気に入らないなら仕方ないが、やってみる価値はあるから。


な。




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