統合ウサギ

統合失調症当事者です。YouTubeラジオとnoteを中心に「ゆるく、楽しく、面白く」…

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統合失調症当事者です。YouTubeラジオとnoteを中心に「ゆるく、楽しく、面白く」活動しています。メンタルヘルスの面を取る-mentorico-はじめました。

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    精神疾患、特に統合失調症について発信しています。引きこもっていた昔の自分や、同じような方に向けて記事を書いています。

  • 統合しちゃう?-統合失調症雑記-

    統合失調症のエピソードや思ったことをつれづれと書く場所です。

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【 都内 | 相談者募集 】対話する相談室 mentorico

 はじめましての方も、いつも見てくださる方も、こんにちは。統合ウサギです。  対話するメンタル相談屋 mentorico を始めたのですが、なんと6月からJR中央線沿線に場所を借りて開くことができるようになりました!  場所を借りるのにあわせて名前も「対話するメンタル相談屋」から「対話する相談室」に変わっています。また、Discordでのオンラインでの相談もできるようにします! 「対話する相談室」とは「一方的な相談ではなく、聞き手と話し手がお互いに悩みを話して、一緒に考

    • 統合失調症の陽性症状で芸能事務所に所属した話

       私には昔から「目立ちたい」という願望があった。おばあちゃんちに行くたびに「ピアノの発表会」と銘打った会の招待状を家族に書いて、ピアノの前で下手くそな演奏を家族に披露していた。順番が逆なのだ。ピアノが上手いから、歌が上手いから「目立つ」ではなくて、「目立ちたいから演奏する」。これでは上手くいくはずもない。今ならわかるのに、当時はわからなかった。  2019年の秋からクリスマスにかけて私の「目立ちたい」という想いは暴走した。統合失調症の陽性症状がひどく、家にいることができずに

      • 「統合しちゃう?」第4回-2時間しか眠れなかった-

         タイトルの通り、2時間しか眠れなかった。寝たのは2時で、起きたのが4時。さすがにやばいと思う。統合失調症の症状で睡眠障害がある。私は、陽性症状(躁状態)のときは不眠になり、陰性症状(抑うつ状態)のときは過眠傾向がある。そう、つまり今はちょっとハイになっている。昨日は運動やら家事やらこなしたし、気持ちが昂って興奮しているのがよくわかる。明け方に通販で靴を買ってしまったし、ちょっとやばいかもしれない。  こういう時、どうすればいいんだろう。言語化したら落ち着くかと思って今パソ

        • 誰かを想うこと、文を紡ぐこと

           二月の中旬に、普段はあまり連絡の取らない友人から「文章を寄稿してほしい」と依頼があった。内容は、友人が春に制作する予定のZINE(個人で制作する本のこと)に私の文章を載せたい、というものだった。  この友人は高校の同級生で、同じクラスだった当時はそんなに喋らず、でもお互い好意的には思っていたし、すれ違ったら笑顔で挨拶はする。そのくらいの仲だった。相手が控えめなタイプだったのもあると思う。卒業して以来連絡をとっていなかったのだが、共通の後輩を経由してSNSで繋がり、十年ぶり

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          机の上を片付けて、春

           部屋を片付けるのが目標だったのだけれども、どうにも進まないのでとりあえず汚れていた机の上を片付けた。片付けたといっても、本や落書きの紙をどけて、埋もれていたシャーペンや消しゴム、予備のメガネなんかを発掘しただけだ。私の部屋は基本ちらかっている。  机を片付けると、不思議と「何か文章を書こうか」という気持ちになった。それで流れるようにパソコンをつけ、noteを開いて今この記事を書いている。何か書こう、という気持ちになれただけでも今日の目標は達成したと言えるだろう。  そう

          机の上を片付けて、春

          うさぎごと 第11回 『「生きること」ってなんだろう』

           「生きること」ってなんだろう。と思うことがよくある。呼吸をすること。寝ること。起きること。食事をすること。排泄をすること。学校に行くこと。仕事をすること。誰かと話すこと。遊ぶこと。ぼんやりと空を見ながら考え事をすること。  すべてが「生きること」だとわかっていながら、私ははたして「生きている」のだろうかと自問自答する。その問いは答えがなくて、自分や誰かを傷つけながら、癒しながら、月日とともにカタチを変えている。  今の私にとっての「生きること」は「聞くこと」だと思う。目

          うさぎごと 第11回 『「生きること」ってなんだろう』

          「生きるの無理かも」目を閉じた朝

           「こうしたら寛解に向かいます」「大丈夫です」とnoteで人を励ましている一方で、自分の「生きるの無理かも」がどんどん溜まっていった。朝、目が覚めても布団から出られない。俯いた姿勢では呼吸が苦しいのに、苦しい呼吸に身を任せて俯いている。スマホのアラームがけたたましく鳴る中で、どうしよう、だけが頭を占有する。5分以内にシャワーを浴びて服を着替えて化粧しなければ、ああ、あと3分以内にしなければ……。なんとか布団を這い出て、支度をして、出社するイメージを膨らませてみる。駄目だった。

          「生きるの無理かも」目を閉じた朝

          「統合しちゃう?」第3回 -その買い物も投資-

           喉が渇く。コンビニでペットボトルの水を買う。1本100円だ。何気なく買っている。この「買う」という行為もある種の投資である。それは、自分自身の身体への供給の投資とも言えるし、水を売っている企業への支援という意味でも投資だ。この感覚があると世界が全く変わってくる。  どうしてこの記事を「統合しちゃう?」に書いたかというと、精神疾患を持った人の多くはお金がなくて苦しんでいるからだ。フルタイムで働けない人が多いし、たとえ働いていたとしても、その時あるお金を全部使ってしまう人も多

          「統合しちゃう?」第3回 -その買い物も投資-

          うさぎごと 第10回「『統合失調症の人』と『健常者』のラベルを自分で貼っている」

           家族に「誰と会ってきたの?」と聞かれた時に「統合失調症の友達」という表現を使うことが多い。「統合失調症の」をつけてしまうのだ。特に深い意図はなくて、自然と口からでてくる。ただの「友達」でいいはずなのに、なぜだろうと考えてみた。  「統合失調症の」という言葉を使う時、健常者や世間的に見ると「統合失調症という病気を患った」という意味合いが強いはずだ。他に、差別的な表現として「頭がおかしい」という意味を込めて使う人もいる。では、私にとってはどうだろうか。私にとっては、「同じ仲間

          うさぎごと 第10回「『統合失調症の人』と『健常者』のラベルを自分で貼っている」

          うさぎごと 第9回「誰かが間違った行動をしたとして、それを伝えるべきか」

           誰かが何かを間違えたとき、どうしますか?  学校の授業で先生が黒板に書いた漢字とか、家族が買い物でほしい食品を違う売り場に探しに行ったりとか、個別会計できない店での割り勘の金額とか……私はその場で「間違えてますよ〜」って言ってしまうタイプです。  でもそれって、本当にいいのでしょうか。  誰かが間違えたとして、それを伝えるべきなのでしょうか。  今日は「誰かが間違った行動をしたとして、それを伝えるべきか」を考えていきます。  私の考えを率直に書いてしまうと「信頼関

          うさぎごと 第9回「誰かが間違った行動をしたとして、それを伝えるべきか」

          「統合しちゃう?」第2回-なにもない?いろいろある-

           「この辺りってなにもないよね〜」「今日は一日なにもなかったわ〜」みたいな会話を耳にする。遊ぶ場所がないとか、楽しかったことがない一日だったとかそういう意味で「なにもない」はよく使われる言葉ではあるけれど、本当になにもないのだろうか。結論から言うと「なにもないことはない=いろいろある」んだけど、そう書くことは予想されていると思いながら、書いていく。  私が統合失調症の陰性症状や抑うつ状態を改善していくのにあたり「いろいろある」という感覚をもったことは、よかったことのひとつだ

          「統合しちゃう?」第2回-なにもない?いろいろある-

          「統合しちゃう?」第1回-閉鎖病棟と将棋-

           統合失調症を振り返ったり、現在進行形で悩んでいることを書いたり、そんな文章をざっくばらんに書く場がほしいと思った。「うさぎごと」は悩んでいる自分や誰かに対して書いているけど「統合しちゃう?」はちょっとふざけた感じも含めているし、この文章は誰かに読んでほしいと思って書いていないので、おかしかったり矛盾していることがあるかもしれない。自分自身のエピソードを書いていく、アルバムみたいなものだ。  入院している時「よかったな」と思ったのは「将棋のルールを知っていたこと」だったりす

          「統合しちゃう?」第1回-閉鎖病棟と将棋-

          「自分が今この瞬間いなくなったとして、ぽっかりとあいたその場所には何が残るだろう」

           「自分が今この瞬間いなくなったとして、ぽっかりとあいたその場所には何が残るだろう」と考えることがある。物理的な話ではなく、象徴としての「自分」とは何だろうか。統合ウサギという名前で活動しているから「ウサギ」という安直な話ではないのだと思う。  思い出として誰かを振り返る。よく見ていた正面の顔よりも背中を思い出す人がいる。人によって思い出すモノや五感が異なる。横顔だったり、やわらかいまなざしだったり、きれいな手の甲だったり、セルフレームの黒いメガネ、赤いチェックのマフラー、

          「自分が今この瞬間いなくなったとして、ぽっかりとあいたその場所には何が残るだろう」

          うさぎごと 第8回「病気をアイデンティティにしてもいいのか?」

           「統合失調症のウサギ」という名前で活動を始めてから3年ほど経ちました。今は「統合ウサギ」です。由来はもちろん、統合失調症からきています。名前をつける時に悩んだこと、それは「病気をアイデンティティにしてもいいのか?」ということでした。  結論から言うと「一時的にはアリ!」だと思っています。ある程度回復するまで、寛解するまで、気持ちの整理がつくまで、私は統合失調症であるということがしっくりくるまで……人によって区切りはさまざまです。なぜ一時的かというと「一時的」をつけないと、

          うさぎごと 第8回「病気をアイデンティティにしてもいいのか?」

          果てしなく遠い場所と余白

           果てしなく遠い場所に行ったとき、自分は自分だと痛感する。  8月13日から16日の4日間、旅行をした。場所は東京から岡山、松江、高松、小豆島とせわしなく動いた。「人に会いたい」その一心で、インターネットで知り合った友人4人に会いにいく旅だった。  旅の最終日、高松空港で夕焼けを見つめる。もし飛行機を使わなければ、自分の身体しか使えない徒歩や自転車だったら何日かかるのだろうと想像する。果てしなく遠い場所で思うことは「自分は自分」ということだった。旅に出れば自分でなくなる気

          果てしなく遠い場所と余白

          「私は統合失調症なんです」と言った夏の日

           地元には家の居間のような、くつろげるコミュニティスペースがある。そこでまだ知り合って半年のMさんと話をしていた。仕事の話、通っている放送大学の話、Webサイト作りの話などをした後に、「〇〇さん(私のこと)はどんなことがやりたいの?」とMさんに聞かれた。そこで私は、困ってしまった。  なぜ困ったかというと、私が今やりたいと思っていることは「統合失調症の当事者を集めて何かしたい」「精神疾患を持っている人でもバイトできる場所づくりがしたい」という内容だったからだ。それを話すには

          「私は統合失調症なんです」と言った夏の日