うさぎごと 第10回「『統合失調症の人』と『健常者』のラベルを自分で貼っている」
家族に「誰と会ってきたの?」と聞かれた時に「統合失調症の友達」という表現を使うことが多い。「統合失調症の」をつけてしまうのだ。特に深い意図はなくて、自然と口からでてくる。ただの「友達」でいいはずなのに、なぜだろうと考えてみた。
「統合失調症の」という言葉を使う時、健常者や世間的に見ると「統合失調症という病気を患った」という意味合いが強いはずだ。他に、差別的な表現として「頭がおかしい」という意味を込めて使う人もいる。では、私にとってはどうだろうか。私にとっては、「同じ仲間の」という感覚が近いかもしれない。
Xでは、「統合失調症の人と繋がりたいです」というタグを見かける。同じ仲間の、似た苦しみを体験している人と繋がりたいという気持ちだ。私も昔はタグを使って繋がっていた。当事者という統合失調症患者のコミュニティの内側から見て思うことは「統合失調症の」という言葉を一番使っているのは、当事者であることだ。よく世間から差別される、偏見を持たれる、と言っている自分たち自身が、当事者だけという区分を作りカテゴライズしている。
この無意識の分類の危険性を考えずに使ってしまうことは、偏見に繋がっていく。自分と同じ病気だから「統合失調症の人は仲良くなれそう」「統合失調症の人はいい人」という思い込みは、「健常者は自分たちのことなど何もわからないだろう」という差別と直結している。通常であれば社会的な強者(健常者)が弱者(当事者)を差別するが、当事者が多いコミュニティでは逆転することがある。
私は「統合失調だから繋がろう」という気持ちを減らしていきたい。まだこの想いは根深くあって、同時に健常者に対して引け目を感じている。「統合失調症だから」ではなく「あなたが魅力的だから繋がりたい」という意志を持てるようになるために、人を見よう。対話をしよう。
これを読んで私と話してみたいと思った方へ。あなたのことを、ぜひ教えてください。
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